親父へ
「父親とは反りが合わない」
そう自覚したのはいつからだろう。思春期によく持つ一過性の反発心ではないことに気付いたのは成人してからだった。
何事も理屈で語りたがる自分とは違い、感情的に語るが故にどこか言葉足らずになりがちな父親。正反対のタイプではあるが、プライドが高くカッとしやすい短気な性格は遺伝子によるもののようだ。なかなか素直になれないところも共通しているので遺伝のせいにしてしまおう。
初めて本気でぶつかり合ったのは僕が中学生のとき。そこからは書き切れないほど色々なことがあった。勘違いされるかもしれないので言っておくが、決して仲は悪くない。むしろ世間と比べ家族仲は良い方だとさえ思う。しかし、父親と息子という関係は親子であれ男と男。特に僕と父の場合は素直に接することが難しく、逆に、素直に接しようとすればするほどぶつかる。
破天荒を地で生きてきた父。自分勝手に振る舞い、幾度となく父親の言動や行動に感情を揺さぶられてきた自分にとって
「親父みたいにはなりたくない」
そういう気持ちが、生きる上での強固なモチベーションだった。ただ、一方で息子として親に感謝する気持ちも強くある。さすがに30歳も過ぎてくると、良い加減大人になって自分が折れ、父親に歩みよった方が良いというのは分かっていた。頭では分かっているけれど、どうしても出来ない。
「お父さんも昔の人やから。あんたの気持ちも分かるけど息子やねんから。」母から何度もそう諭された。分かっている。頭では。でも、自分のとるべき立ち居振る舞いは分かっていても、奥歯に物が詰まったままのようなスッキリとしない感情を拭えずにここまで来た。
先日のGWに久々に電話で父親と話した。
それも母親に即されたから渋々といった感じで、何を話したかもあまり覚えていない。お互いぶっきらぼうに、こちらはなおのこと面倒な感じが態度に出てしまっている感じだったと思う。
親父を邪険にした一言
それが自分の父親との最後の会話になった。
青天の霹靂。
予兆は何もなく、あまりにも急なことだった。
母から一報を受けた時は理解できなかった。
「何かの間違いじゃないのか?」
「あんなに元気だったのに?」
急いで大阪へ向かった新幹線の中の記憶はもうほとんど思い出せない。
再開を果たした父は、目を閉じて冷たく横たわっていた。
全然理解できない。
『おう。大阪来てたんか。何でや。ライブか?』
と、今にも起きてきてそう言い出しそうなのに。どんなに強く語りかけても目を開けることはなかった。
そこから数日はまさに怒涛で、喪主として父の送り出しのために家族と力を合わせて数日を過ごした。葬儀を終えようやく帰宅し、改めて荼毘に付された父親を目の前にしたとき、堰き止められていた感情が一気に溢れ出した。
悔しさ、腹立たしさ、今までの思い出、何よりも悲しさ。
何であんなに親父のことを邪険にしていたんだろう。よりによって最後の会話がああなるなんて、分かっていたら言いたいことはいっぱいあったのに。せめてあと数時間だけで良いから、最後に感謝を伝える時間が欲しかった。
5/7に父親が急逝しました。
今回、重い話ではありますがブログにアップしようと思ったのは、自分の懺悔と感謝、何より本心を少しでも父に伝えられればと思ったからです。
直接はもう伝えられないけど、父は晩年にiPadを手に入れてから、実はTwitterやyoutubeなどでちょくちょく僕の活動をチェックしていたみたいです。多分ブログも見ていたと思う。
いや、絶対見ていた。
見ているくせに見ていないことを装い、その装いがわざとらし過ぎて逆に「いや絶対見てるやん」と周りにバレてしまう、そういう人でした。
親父の魂ならこれを見てくれているだろうと信じて、最後に自分の想いを(ここまでもそうだけど)文章で残します。
伝えたかった事は沢山ある。沢山あり過ぎるから何を言ったらいいか分からないけど、、
言葉ではなかなか伝えられない想いを文章で。人生で最初で最後に書く自分の父親への手紙です。
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親父へ
あまりにも急過ぎて、何も伝えられなかったことの後悔と腹立たしさで、よりにもよって、葬式の後に「全然良い父親じゃなかった」と吐き捨てるように言ってしまって本当にごめん。あの時はどうかしていました。まだ感情のコントロールが下手な息子を許してください。
親父とは色々あったけど、こんなに人を愛し、人に愛される男を僕は他に知りません。それはほんまに、どんな有名人より親父が一番やで。
誇りに思っています。
色々伝えたいことはあったけど、今はただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
思い返せば、色々な思い出が蘇ってきます。
「ちょっとタバコ買いに行ってくる」といって朝帰りしてくる親父。
「ご飯できたからお父さん呼んできて」とおかんに言われて、近所の寿司屋まで「お父さん、ご飯出来たで!」と、そこで呑んでいる親父を毎日のように呼びに行っていた幼い日々。たまに食べさせてくれたお寿司の味が忘れられへん。
中学に入り僕が反抗期に入って、何度も親父とぶつかったこと。これは高校まで続いたけど、親父に怪我を負わせてしまったのに、周りから「どうしたん!?」と聞かれたときに「ちょっと転んだだけや」と笑ってバレバレの嘘をついてたこと、今だったら僕のことを庇ってくれていたということも分かります。
高校に受かったことを誰よりも喜んで親戚や近所中に自慢して、挙げ句の果てに寝言に出てしまうくらい、夢の中まで自慢してくれていたこと。
ちょっとだけ警察にお世話になったときに、遠くの警察署まで迎えに来てくれたこともあったやんな。
そこではじめは警察官に頭を下げていたけど、最後には理不尽に対して声を荒げて抗議してた。内心「えー、、」と思ったけど
「あかんもんはあかんのはお前も警察も一緒や。例え警察でも、何でも上から言って良いわけちゃう。気分で人の人生左右するようなことしたらあかんねん」
って言ってたのが凄く記憶に残ってます。そん時に心の中で「お、親父〜!!」って思ってた。
「夜中やしワシしか知らんことやからお母さんには言わんでええぞ」
って言われて、もう一回「お、親父〜!!」ってなった。カッコええなぁと思ったよ。
次の日におかんに
「あんた、ええ加減にしときや」
とこの件で怒られた時は普通にズッコケたわ。
音楽の道に進む事もそんなに何にも言わへんかったやんな。複雑な気持ちがあるのは知ってたけど、応援してくれていたのは分かってる。
東京に行くって決めた時も、「男一匹、人生挑戦して来い!」って送り出してくれた。
僕は自分が長男やから家のことで色々と制約を受けると思っていたし、それが嫌で逃げてきたところもいっぱいあった。親父は口や態度では嫌悪感を出してた時もあったけど、基本は許してくれてたやんな。
親父が同じ立場やったから、本当は色々やりたいことや自分の描いた人生はあったのにそれが出来なかったから、自分と同じ想いをさせないようにしてくれたんかなぁと思ってる。感謝してます。
まだお金が全然無かった時に
「男は見栄張らなあかん時もあるんや!」って言って2万円を無理矢理僕の財布に入れてくれた。自分も貧乏やのに。
これはありがたく、すぐに後輩との飲み代に遣わせてもらいました。笑
でも親父の望んでる遣い方したで。見栄を張らせてくれてありがとう。
結婚式の時はもうほんと親父らしくて、集合時間になってもおらへんと思ったら近くの喫茶店で優雅に珈琲飲んでるし、最後の新郎父の挨拶の時はもうベロベロで「ワシそんなん知らん。やらへん。」って言うし、結局なんとかマイク持ったと思ったらめっちゃ喋るし。
「ああ、俺やっぱ親父の子供やねんな」って思ったわ。
と思ったら最後には失踪してるし、ラストの親族写真撮影の時はみんなバチバチに正装やのに一人だけ私服やし。今思い返しても「何でやねん笑」やわ。ほんと親父らしかった。
こそこそライブも見に来てくれてたやんな。
おかんから「次の大阪のライブお父さんが見に行きたいって言ってる。いつか教えてあげて」って何回言われたことか。謎におかん挟んでることが謎やったけど、自分が見に行きたいと思ってるっての知られたくなかったんやろうし、何やったら息子から「お父さん、次この日に大阪でライブあるから良かったら遊びに来てください」って言って欲しかったんやんな。今やから言うで。
そんなん言う訳ないやん。笑
お父さんに「お前のライブまた見たいから次遊びに行かせてくれや」って言って欲しかった。なんか、やっぱりお互いちょっと意地っ張りなとこ出てしまってたんやんな。僕はそういうところ、ちょっとずつ直していこうとおもいます。
「ワシは別に孫産まれても周りみたいに喜んだりはせんと思うわ。そんなに興味ないし。」
っていう無茶苦茶キレイなフリをしてたよね。
自分の孫を初めて抱いたときのおとんのほころんだ顔、忘れへんで。初孫に会わせてあげられて良かったなぁ。
最近の僕の活動を見て、仕事が順調にいきはじめていることを毎日のように喜んでくれていたとおかんから聞きました。少しは安心してくれてたんかな?
こうやって書いていくと、まだまだ思い出がいっぱいあるけど、あんなに嫌な事もあったし、あんなに喧嘩もしたのに、今は不思議と楽しかったことやオモロいこと、嬉しかったこと、そして感謝しか出てけえへん。
何でこんなに急に逝ったん。
心残りは色々あるけど、息子は親父に感謝の気持ちを全然伝えられへんかったんが一番の心残りやねん。
でも分かってもおるねん。
仰々しいことや、そういう言葉でのやりとりを敢えて避けて、多くを語らずに粋なことを求めてた人やったから、だからスッと急に旅立ったんやんな。
最強に伝え下手やった親父やけど、今では色んなことが理解できます。
間違いなく親父は
「そんなんいちいち言うな!もう分かってるから」
って、絶対そう言ってると思う。でも言わせてください。
この世に生を授けてくれてありがとう。
今まで育ててくれてありがとう。
僕のお父さんでいてくれてありがとう。
親父は多分「ええ人生やった」って向こうで言ってると思うから、いつか再開した時に「僕もええ人生やったで!」って言えるように、この先を精一杯生きようと思います。
親父は波瀾万丈でドラマのような激動の人生を送ってきたから、これでようやく心も体も落ち着けるんとちゃうかな?残された家族の事は心配せんで良いから、ゆっくり休んで、向こうでも親父らしく楽しく粋に過ごしてください。
しばらくは親父のお気に入りの帽子と時計は付けとくから、もし暇な時に気が向いたら僕の仕事の様子覗いてみてな。息子はあなたが思ってるよりも頑張ってるで!
いつか向こうでサシ呑みできるのを楽しみにしています。
今まで本当の本当にありがとう。お父さん、大好きやで。
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かなり湿っぽく個人的な内容になってしまったので、これを見てくれている方には申し訳ないです。ご心配をおかけしているなら、それも申し訳ありません。
でも大丈夫です!
直後にあった先日の大阪のワンマンライブ、色々な想いがあったけど、成功できて良かった。妹がこっそりと親父の写真を持って観に来てくれていたので
「ワシが死んだら、葬式で流すときに変な音楽はいらん!ビートルズとたかじんと、ワッタワンダフルワールドかけてくれ!」
って言っていた親父に向けて、アンコールの最後の曲のソロで「What a Wonderful World」のメロディを1コーラス弾きました。
「かけてくれ!」と言いながら、本当は弾いて欲しかったと思うから。
今回のことで強く思ったこと。
「感謝は思っているだけではいけない。
人はいつどうなるかなんて分からないから、日頃から口に出して、相手にしっかりと伝えないといけない。何よりも自分が後悔しないために。」
これは父親が最後に僕に教えてくれた事だと思います。こんなに心に深く刻まれる教訓は今まで無かったなぁ。
誰もが直面することだし、いつまでもクヨクヨはしてられないので、しっかりと前を向いて、これまで以上に強い気持ちで、力強く、人生を歩んで行こうと思います!
最後になりましたが、ご心配をおかけした関係各所の皆様、温かいお声を頂いたり助言や力を貸してくださった皆様、特にCalmeraメンバー、チームの皆には本当に感謝しています。
この場を借りて、改めてお礼をさせていただきます。
本当にありがとうございした。
皆様、引き続きどうぞよろしくお願い致します!!
2022年5月31日
PAKshin
誕生日なので
天赦日・一粒万倍日・寅の日というこの上なき良き日である本日。
わたくし誕生日なんです。
何かを始めるには良い日らしいので、何をしようかと色々考えてたんですけど、特に今「これがしたい!!」ってこともなく。それならずっと休眠していたブログをとりあえず再開してみようかなと思いました。
ちょっとずつにはなると思うけど、また思い立った時にその瞬間で思ったことや出来事を徒然なるままに綴っていければと思ってます。多分、ほとんどが音楽とか活動とかと関係ないことだと思いますので、それでも興味あればぜひ読んでくだされば。
この数年色んなことがありました。ライフステージの変化というものをひしひしと実感するのと同時に、この先の人生をどうしていきたいのか?近い将来自分はどうなりたいのか?といったことを近頃よく考えます。
1年ってすごく早いから、今までよりも時間を大切にして自分のためになることをしっかりとやっていかないとなと。
じゃあ何をしたいのか?
漠然としたやりたいことは沢山ある。
音楽でいと、仕事としてここ数年特に年々オファーされることが増えてきた。でも、まだまだこれからという感じもある。ちょうど今が大変でもあり楽しい時期でもあるなぁといった感じ。ま、ここに関しては本当に色々とやりたいことがあるので、一旦それを抜きにして考えると
- ラジオがやりたい
- 文章を書くことをもう少しちゃんとやってみたい
- 海外に行きたい
- サウナに毎日のように行きたい
- なんだったらサウナ作りたい
- 水風呂にも拘りたい
- 外気浴でしっかりリラックスできるスペースを構築したい
なんか、、書き出して見るとサウナのことで埋まってしまってるな。。
実は僕サウナーなんすよね。え?いつからかって?「サウナー」っていうチャラついた言葉が産まれる前、「サウナー」の影も形もない時からです。中学入ったくらいからなんで、もう20年以上もやらせてもらってますよ。「サウナー」をね。
ええ、確かにありました。
「何やねんサウナーって」
って思ってた時期。分かりました?出ちゃってましたかね?「何やねんサウナー」感。
でも良いんです。分かりやすいですしね、サウナがこんなに大衆に認められることは大歓迎だしサウナに興味持ってくれる人も増えましたしね。コロナ禍で一緒に行くのは難しいけど、サウナ仲間もできました。20年サウナーやってきて、このビッグウェーブは初めての出来事なので、この状況は嬉しい限りです。すごく良いことだと思います。素晴らしいことだと思っています。
はじめは確かに思ってました。サウナハットのことを
「何やねんその変な帽子」
ってね。「風呂に帽子被ってくるってどういう了見や」ってね。
でも、サウナー人口が増え、スーパー銭湯などでチラホラとサウナハットを装備している人を見るようになってからは普通に感じるようになりました。
それでも、いわゆる町の銭湯のサウナで被ってる人みた時は
「うわ!勇気あるぅ〜」
って思ってました。
でもそれも最近はよく見るようになったので、いまは何とも思わないです。
なので、追加します。やりたいことの一つに
- サウナハットを被ってサウナに入る
を追加します。パクシン、2022年は勇気出します!!!!
色々言ったけど(ほぼサウナのこと)、今年は今まで以上に自分に向き合って、自分のやりたいことに正直に、今まで以上に人生を楽しめるように、感謝の気持ちを忘れずに突き進んでいこうと思います。それを見た人が一緒に楽しんでくれたり共感してくれるなら、なお嬉しい。
ブログも僕の場合はエッセイの性格が強いですが、暖かい目で見守ってくださいませ。
というか書いてるの見直して気付いたけど、、、
はてなブログもサウナーのことまだ「なんやねんそれ」って思ってる可能性あるやん。
「この単語間違ってません?」って言ってるやん。
サウナーの皆様、はてなブログでも認められるようにこれからも頑張っていきましょう。
以上パクシンでした
2019/6/26『PAKshin Piano Solo Concert』in Motion Blue Yokohama
先月末6/26にMotion Blue yokohamaで、自分としては初めてのグランドピアノソロコンサート『PAKshin Piano Solo Concert』を開催しました。
世界的にも由緒ある『bluenote』という場所。その系列店であり、日本屈指のホットスポット横浜の赤レンガ倉庫にお店を構えるMotion Blue yokohama。そんな場所で自分がソロでやるなんて、想像もできなかった。
昨年、Calmeraとして自分のバンドで出演した時にブッキング担当の方から
「パクシン君のソロ聴いてみたいな。やってみない?」
と言われたのがそもそもの始まりで。
まぁこういう「何かやってみません?」とか「またなんかやりましょ」は業界的に社交辞令や挨拶みたいなものになってるので、僕も軽い気持ちで
『うぃーす!やりましょやりましょー!!』
って当時は返したんですよね。
そこからしばらく経ち、何と、本当にオファーを頂けました。
その日が5月の5日とかだったかな?
「バンドのキーボーディストをメインにとして活動してきた自分にとって、モーションでピアニストとしてソロ、、、一体何をどうすれば良いんや、、、いや、その前にお客さん入ります!?平日やし、もう2カ月切ってるし、、しかも150人くらい入るし!!」
でも、そんなことよりも、このオファーが来たことが光栄であり、何よりも僕を信じて公演依頼をくれたモーション側の期待に応えたいという気持ち。
そして、活動している中で今までに何度かあった
『あっこれ、越えないといけない壁や。』
という直感。そして、この壁というのは不思議なもんで、その時の自分にとって、死ぬ気でかかればいつも越えられてきた。
「次のステップに進むチャンスが来た」
そう思い、ありがたくオファーを受けさせてもらいました。
自分にとって大きな壁を前にした時の高揚感と不安。いかにして成功に道筋を建てていくのか?どうしたら良いか分からずに、とりあえず発表も兼ねて、instaliveを始めた。
そのインスタライブを観てくれていた皆に、自分のその時の感情を隠さずそのまま曝け出して「不安や〜」と言うと
「絶対大丈夫!」
とか
「成功するようこっち側も頑張ります!」
とか
「おめでとう!絶対行きます!」
とか、ほんと心強い言葉いっぱいもらって本当に嬉しかった。
すげぇよなー。すげぇ時代になったなー。こんな風に繋がれるんやもんなー。
と半ば人ごとみたいに思いながらも、皆からの激励コメントに俄然ヤル気が湧いた。
改めて本当にありがとう。
そこからは、何をもって成功とするか、真剣に考える日々だった。
バンドでもない、企画でもない、自分のソロコンサートは、自分で全て考え、自分が全て背負う公演。自分がやりたいこと、届けたいものを純度100%で届けられる公演。
僕がこの公演のテーマで自分の中に掲げたのは
「PAKshinの音楽家としてのこれまでの軌跡、そして、ピアニスト、芸術家としての未来を感じてもらう夜」
でした。この日ばかりは笑いの要素は無し。
自分の音楽との関わりから、このステージに立つまでの今までが見えるような、そして「これから凄いことになっていくかも!」と感じてもらえるようなステージにすること。
パクシンと共体験をしてほしい。そして感動してもらいたい。
その上で、具体的に色々な事を考えました。
●ラジオのスピンオフ企画をやる
自分がパーソナリティをやっているレギュラー番組、東海ラジオ「J-LEGEND 6thシーズン Piano Arrange Collection」で毎週、日本の名曲をピアノアレンジでお届けしているのですが、今までの放送の中で演奏した中から、数曲をさらに踏み込んでリアレンジしたものを演奏することにしました。
●オリジナルを作る
バンドやその他では作曲をしているけど、ソロピアノ用の曲は全然ない。というか、そもそもソロピアノのライブ自体、2,3回くらいしかやったことない。
なので、この日に向けて書き下ろしを数曲作ることにした。
●想像のつかないゲストを呼ぶ
今まで一緒に演奏してきた方や馴染みのある人で素敵な演者さんは沢山いるけど、この公演だからこそ、自分がやってみたい音楽を表現したい。そして、いつも観てくれている人が想像つかないようなゲストの方と、素敵な音を届けられれば。
●物販を作る
その日の想い出として、何かを持ち帰って欲しい。自分のグッズを作ることに始めは少しだけ抵抗があったけど、それでも、望んでくれる方も多かったので、そこは妥協せず、そして採算度外視で作ることにした。
●インスタライブ配信
本番までを共体験してもらうため、現状の報告や練習風景などを僕としては積極的に配信しました。リクエストを受け付けてその場で即興で弾いてみたり、これは良い息抜きにもなった。
色々、試行錯誤をしていると、気付いたら協力者が現れてくれました。
圧倒的にグランドピアノを弾く経験の少なさや練習場所に絶望していた僕に、岡山のファーマーズマーケットノースビレッジの皆さんが、管理されている会館での練習場所を提供してくれました。
学生時代からずっとお世話になっている、デザイン事務所を営む先輩が、ロゴのデザインを請け負ってくれました。
長野県伊那市のアパレルセレクトショップMellowの黒木さんは、Tシャツのデザインから販売までの制作の全て、そして当日はスチール撮影までやってくれました。
そして、ゲストには二胡奏者の「高山賢人」さんが参加してくれることになりました。
これも、この公演が決まった時に、僕が
「絶対に二胡とやりたい!知り合いおらんけど!!絶対に二胡とやりたい!!」
という想いから、Twitterでの呟きがきっかけで繋がった奇跡的なご縁。
こんな時間に言うことじゃないのは分かってるんやけど、二胡奏者の方とお知り合いになって一緒に演奏したい。
— パクシン Calmera カルメラ (@pakshin) 2019年5月6日
と、思わせぶりなツイートをしたところ、お世話になっている方から高山さんを推すリプライが送られ、そして繋がりました。
この後に急なオファーをしました笑
会ったこともなく、SNSで繋がったばかりの僕からのオファーを快く受け入れてくれた高山さんに本当に感謝。
やりたい曲は決まっていました。
その二曲を絶対にやりたいと言った僕の強い想いに応えてくれて本当に嬉しかった。
そんな素敵な協力者が沢山現れてくれても、ステージを作りあげるのは自分自身。
本番に日が近づくに連れて、準備の間に合わなさに神経は尖っていきました。
曲ができない。
アレンジが間に合わない。
曲を弾きこむ時間が足りない。
そもそもバンドのツアーが、このモーションの直前に始まる。その曲も膨大な数覚えないといけない、、、
僕の中で、絶対に曲げないルール、不文律があります。
「何があってもバンド最優先。絶対におろそかにしないこと。」
Calmeraをやっているからこそ、今回の公演もあった。自分のことにしか目を向けないのは論外だし、精一杯でCalmeraの事がおろそかになるならそもそもハナからやってはいけない。
なので、本番一か月前からは、モーションソロ公演の準備、Calmeraのツアーの準備と、毎日寝落ちするまでやり切る日々が続きました。
多分人生の中で一番練習した笑
そしてここで、また貴重で不思議な体験をします。
その時、あと一曲、どうしてもオリジナルができなくて悩んでいました。
「ここでできひんかったらもう何かカバーを入れるしかないな、、、でもそれにもアレンジに時間かかるし、、、どうしよう。ほんまに無理や。。」
もう本当にあと数時間。この夜までにできなかったら準備は絶対に間に合わないという瀬戸際でした。
そもそもはじめから無謀な計画だったんだ。
もう寝よう。
諦めてそう思った瞬間、頭に1フレーズだけ、ほんとに僅かなフレーズだけ浮かびました。
なんとなくそのフレーズを弾いてみる。
そうすると、次のフレーズ、また次のフレーズ、、、こうしたい!ああしたい!がどんどんと出来ていき、あっという間に、本当に1時間どころか30分くらいで曲が出来上がりました。
何かに憑依されたとしか思えない。
こんな体験は初めてでした。
タイトル付ける事が苦手でいつも悩むのですが、この曲が出来上がった時は一瞬でタイトルが出てきました。
「ただ、そこにある道」
まるで決まっていたかのように。この体験は今でも嘘のように不思議で、でもこうなることも何となく分かっていたような感覚もある。
また一つ貴重な経験ができた。
そうやって残りの日々が過ぎ、本番の日になりました。あっと言う間だった。
この日にこの場所で自分がピアニストとしてソロをやるなんて、未だに信じられない。
リハーサルも気付けば終わっていた。
そして開場。
この日、平日にも関わらず、なんと150名の方が来場してくださった。
これマジでびっくりしすぎて、外人ちゃうのに「オーマイガ」って言いそうなったわ。言ってへんけど。
ほんとうに驚き。
そして本当に感謝。
こんなにも、自分の公演に貴重なお金と時間を費やして足を運んでくれる人がいるなんて、、、
本番えのヤル気が一層高まりました。
本番前の楽屋。
この日の1stはブルーのタキシード。髪もアップにしました。
いよいよ本番へ。
あっという間だった準備期間を全て終えて、いよいよ始まる。
まずはオリジナル2曲から、3曲目ボサノバの名曲desafinadoまでを連続で。
コンサートと銘打つからには、しっかりと緊張感と曲の世界観を感じてもらえる演奏と演出を。
オリジナル2曲はこの日のために作ったもの。
desafinadoは大好きな曲。
MCを挟んで、東海ラジオでやっている自分の番組のスピンオフ企画として
エイリアンズ/キリンジ
2000トンの雨/山下達郎
のカバーを3曲続けて。
その後のMCでも触れたけど、なんとこの日、吉俣良さんがわざわざお越しくださっていました。
日本を代表する尊敬してやまない作曲家の目の前で、ご本人が作った曲を自分のアレンジで披露する、、、
こんな緊張することある!?
いや、こんな貴重な体験もできません。
死ぬほど緊張した、、、、
そしてMCを挟んで1stラストの曲spainを。
僕がジャズに興味を持ったきっかけの曲。
インスタライブでもリクエストがあり、難しいし悩んだけど、やって本当に良かった。
1stステージを終えて、30分の休憩でも休む暇はなく、次の準備へ。
急いで頭を洗って次のセットへ。
衣装もロイズテーラーさんに作ってもらった、ブラックの三つ揃えに。あっという間に2ndステージ。
2ndはCalmeraで僕が作った曲Shineのセルフカバーから。
そして、二胡奏者の高山さんをゲストに迎えての「風のとおり道」と韓国民謡「アリラン」へと続きます。
このアリランの前のMCで言いましたが、僕は昨年、日本国籍を取得し、日本へ帰化をしました。
日本で生まれ育った自分にとってメンタリティはほぼ日本人と同じです。
この国で生きていくからには、いつか日本国籍を取得することはずっと考えていました。
海外のように「○○系**人」という表現がしっくり来る。このグローバル社会の中で、自分のルーツだけはっきり分かっていれば良い。
両親、祖父母、遡って自分の先祖、この人達がどう生きたから今の自分が存在するのか。
ちゃんと分かって感謝をして。
だからこそ、この韓国民謡「アリラン」は自分のルーツの曲でもあり、このタイミング、この公演で絶対にやりたかった曲。
魂を込めてアレンジをし、高山さんの素敵な二胡の演奏で何倍にも高めて頂きました。
高山賢人さんに本当に感謝です。
その後はイタリア旅行に行った時に、そのインスピレーションで出来た曲「Ricordi」とミシェルカミロの「on fire」を二曲続けて。
「on fire」の時はそろそろ指に限界が来ていましたが、気合いでなんとか弾ききりました。
そして最後のMCを挟み、本編最後の曲は
「ただ、そこにある道」
を。この公演に臨むにあたって不思議な体験で出来上がった大切な曲を、気持ちを込めて弾きました。
あっという間にアンコールで、最後の最後は「MEBAE」という曲を。
東海ラジオで1クールパーソナリティを務めたその最後の放送で披露した、これまでの番組でピアノを弾いた曲からインスピレーションを受けて作った曲。
この番組をするにあたって、夢だったラジオパーソナリティのお仕事ができ、そしてこのモーションブルーでのソロ公演が決まり、自分の中で新たに様々な感情や希望、夢が芽生えました。
その想いを音に乗せて、そして今日に向かって来た日々を振り返り、このステージに立たせてくれた全ての人に感謝を込めてピアノを弾きました。
終わりたくなかったなぁ。
本当にあっと言う間だった。
ここまで支えてくれた皆さん、応援してくれた人たち、そして当日足を運んでくれた沢山の方々、本当に感謝しています。
ありがとうございました。
ところで、この公演をブッキングしてくれたのはモーションブルーの谷口さん。
通称タニーチョと呼ばれる彼は、音楽に対して熱意とアツい想いを持ってお仕事をしていて、そんな尊敬できる彼の存在はアーティストにとって心強く、そしてありがたい。
俺にオファーをくれたのだって、ハッキリ言うと正直カケだったと思う。
でも彼は「絶対成功するよ。」と言ってくれ、ステージに上がる直前には
「普段と違って一人でステージに立つって大変だよね。でも今のパクシン君は最高にカッコいいよ。」
と言って送り出してくれた。
2ndステージに上がる直前に、タニーチョ氏に
「もし今夜が大成功になったら、またここでソロをやらせてもらえますか?」
と聞いた。
返って来た答えは
「俺、もうやること決めてるから。」
その言葉がどれだけ嬉しいか。
いつもより力強くステージに登ることができた。
スペシャルサンクス。タニーチョ!
そんなこんなで、一世一代のピアノソロコンサートは沢山の人たちに支えられ、大成功することができました!
そして朝まで打ち上げ!!
本当に楽しい日々だった。
ので!
その他でも意を決してピアノソロをやります。
東名阪で発表したけど、大阪と名古屋はすぐに売り切れちゃった、、、すみません。
8/9東京編GRAPES KITASANDO
はまだちょっとチケットあります。
大阪は9/3に追加公演やります!
詳しくは以下で!
最後に初公開の、当日の動画を。
想いを込めてアレンジをし、高山さんと共に想いを込めて演奏したアリランを。
『アリラン(아리랑)』feat.高山賢人 - YouTube
またやります。
次はもっと成長した姿を見せるので、これからもよろしくお願いします。
以上、パクシンでした!
動画/中山文子
写真/黒木治
続・先輩の可愛いがり〜THE イナズマ戦隊 久保という男〜
先日誕生日を迎えまして、31歳になりました。各所から沢山のお祝い頂き、本当に嬉しかったです!SNSなどではお返事できていないですが、ちゃんと全部読ませてもらってます。本当にありがとうございました。
この1年の目標は『楽しかった去年よりももっと楽しく生きる』ですYEAH!!
ところで、僕のブログを読んでくれている方は過去記事で少し面倒臭いけど愛情のある先輩「THE イナズマ戦隊」というバンドのドラマー、久保裕行という男について触れたのを覚えていますか?知らない方はこちらをお読みください。
SNSや個人的な連絡などで沢山お祝いのメッセージを頂いていたんですが、先程何気なく過去記事をチェックしていて気付きました。
久保さんからお祝いの言葉もろてへん、、、、
結構ここぞとばかりにそういうのする人やのに、、
単純に愛想を尽かされたのか。それともイナズマ戦隊パイセン達は多忙なのでそんな事してる暇がないのか。。
いや!これは、、
久保さんサボってる疑惑!
よし、そうとなったらお祝いの言葉貰おう!
「ワイ誕生日でんねん」の感じ出さずに!それとなく連絡とって「あっそういえば、、」みたいな感じの雰囲気のニュアンスのやつ目指して。
SNSチェッカーの久保さんならきっと気付いてくれるはずだ!
そういえば先月2/14にこんなやりとりがありました。
「いやバレンタインにどんなイチャモン付けて来るねん笑」って思った事がまるで昨日のよう。何やねんほんま笑
以下のように返信しました。
とまぁ、こんなやりとりがあった訳です。
さて、先月こんなやりとりで終わってる上でどうお祝いの言葉をもらいに行くか、、、悩みどころです。こういうのは切り出しが大事ですから慎重にいきたいところです。
うん。順調な滑り出し。
もうこの時点でちょっとおもろい。
勘の良い久保さんのことだから、このやりとりで「はっ!そういえば!」って気付いてくれるかな。気付いてくれたらいいな。
いや、気付くはずだ!
え、、、、
ひどい!!!!!!笑
まさかの罵倒フルスロットル!笑
ビタミンとってるんかなぁ、、野菜不足を疑っちまうぜ、、、
それにしても気付いてくれないとは。さてはやっぱり最近SNSチェックを怠っているな久保さん。このままだとSNSチェッカーの称号を剥奪する可能性もありますよ!気付いて!
いや、ここまではじゃれ合いだとして、この後に気の利いた事言ってくれるはず。
気の利いた言い回しとかで俺の誕生日をお祝いしてくれるはず!!!
俺の誕生日!!
祝ってくれるはず!!!!!!
そっちかぁぁぁああ!!!!
そっちに転んだかぁーー!
もういいや!逆に面白いし。
久保さん、もうMVP!今日のMVPは久保さん!まだお昼過ぎやけど決定しちゃう!
こんな訳で久保さんとのやりとりは、結局「誕生日のお祝いの言葉貰う」という目的を達成できずに終了しました。
久保さん・・・・久保さん・・・・・
聞こえますか・・・
今、あなたの心に語りかけています・・・・
パクシンに誕生日のお祝いの言葉を送るのです・・・・・
・・・そして・・・・
・・いつの日か話したお寿司をご馳走するという約束を果たすのです・・・・・
それがあなたの使命なのです・・・・
待っています・・・・
以上・・・パクシンでした・・・・・
勘違い
この人ちょっと嫌だなと思うおっさんのタイプ。108個あるうちの一つ。
【悪かった自慢】
これほんとキツイっす。
悪かった、不良だった、喧嘩いっぱいした、とかそういうの。
話が面白い方向に繋がっていくなら全然大丈夫なんだけど、やみくもに過去の悪さっぷりをアピールされても「いやこれいま何のプレゼン?え?修行?俺側の。」ってなる。
わざわざ進んで印象をマイナスに持って行かなくて良いのに。
そして、声を大にして言いたい。
これはほんと、同じこと思ってる人多いやろうから、俺が皆さんを代表してそんなおっさんにビシッとここで言ってやりたい。
お前、言うほど悪なかったやろ
はいしゅーりょーかいさーん!
先日、奈良でのとあるパーティーイベント終わりに、深くまで打ち上げをし、終電もなくなりタクシーで実家に帰る事に。
県を跨いで結構な距離になるので、運転手さん目的地あまり分からないかな?と思い
「大阪市の生野区に行きたいんですけど、高速の降り口降りたらまた口頭で案内します」
とだけ伝えて、同乗したリーダーと2人でこの夜のハイライトで話に花を咲かせていました。話題は次第に打ち上げに同席した芸人志望の若者のことへ。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
パ「いや〜でも楽しかったけど、アイツはもっとこれから笑いのレベル上げていって欲しいっすね」
「せやな」
パ「あのタイミングでこう、バシッとすぐにアクセル踏めへんようじゃちょっとしんどいっすよねー」
「せやな」
パ「これからやと思うんで頑張って欲しいすね」
「せやな」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥
シラフの今なら冷静に言える。
どの口が言うねん
いや、どの口が言ってんねんお前!すなわち俺!
絶対的に自分がミュージシャンでありアーティストであるという事を忘れてる奴の発言なんですが、数分後に運転手さんによってその事を思い出させられます。
「お客さん達、お笑い芸人さんなんですか?」
(・・・・あっ・・・・・)
(・・・違う、、おれ、、、ミュージシャンやのに調子乗って笑いにアツく語ってしもてた・・・・)
(・・でも正直に音楽やってるとか言ったらこの先の会話メンドクサイ・・・・・)
(・・・あるあるで言うと2パターン
A.「へぇ!音楽やってるんですか!どことかでライブやってはるんですか?テレビとか出てはるんですか?いや、僕も知り合いに音楽やってる奴がおってね〜○○っていうんですけど、結構有名なんですけど知ってます?(だいたい知らん)」
B.「音楽!?へぇ、、それで食えるんでっか?なかなかこんな時代やからね〜タクシーももうあきまへんわ。さっきも数時間ぶりにお客さん乗せたおもたら近くまででね。ほんまかなわんわ〜(お前の話かい)」
・・・・あかん・・どっち来てもHP削られる・・・でも芸人でない事は伝えてふわっとしとこ・・)
「あっえっと、、芸人では無いんですけど、まぁなんて言うか芸能とかエンタメ関係の仕事に近い感じの端くれの雰囲気です」
とまぁこんなニュアンスの事を伝えて、変に話が広がらないように分かりやすくシャッター降ろす空気感出しました。閉店ですよっ!って。
その後同乗してたリーダーが降り、自分の実家へ向かう道を運転手さんに伝えます。
「○○橋ってとこなんですけど、この道をこう行って下さい」
「え!○○橋!?」
「はい。あっもしかして知ってました?」
「うちの嫁さんの実家その辺ですねん!!」
「えーそうなんですね!」
「そうそう。あの辺もええとこやね〜、最近さびれてきとるけど。ずっとあの辺なん?」
・・・急なタメ口!!
いや、年上やし良いんですけどね。
「いや、今は東京なんやけどね。仕事でこっちくる時は実家に帰ってくるから。」
でもちょっとイラっとするからタメ口返し。
「○○橋って言ったらあの有名なヤクザの組あるよね〜。△△組の事務所ね。お客さんは○○橋のどの辺?どの辺にとめたらええのん?」
「あーあるよね。まさにそこの前で停めてもらえるかな?」
「、、、はい。」
(・・あれ?急に様子おかしない?・・・)
(・・・・もしかして今の、ちょっと勘違いされてる?・・・)
(・・・俺の実家は、そこの裏にあるけど道が狭いし歩いて一瞬だからそこに停めてほしかっただけやねんけど、、、言葉足らずだったかな、、?・・・・)
しばしの沈黙が流れる車内。
暫くして、運転手さんが絞り出したような声で
「あのぉぉ〜、、、、空調、暑いとか寒いとかあったら遠慮なく言ってくださいねぇ」
やっぱりやん
ちゃうちゃうちゃうちゃう!!!
そっちじゃないよ俺!!!
ごめんごめん!!勘違いさせる言い方してごめんなさい。。。でも冷静に考えたら
・パーティーに参加
・帰りに奈良から大阪の長距離をタクシー
・職業は芸能関係(ふわっとしてる)
・帰り着くところがそこ
・・・あっ・・・これほぼ条件揃ってもうてるわ笑・・・・
それにしても、そんなに分かりやすく態度急変するもん?笑
タメ口で喋ってたやん、さっきまで。笑
「あのー、、遠くまで乗ってもらってるんで、もうほぼ近くまで来たらメーター止めさせてもらいますんでぇ。」
大丈夫やからっ!!!!笑
「大丈夫、大丈夫!良いですよ。そちらもお仕事なんで。」(丁寧語に戻す)
「いえいえいえいえ!!!!いやーもうほんと、ここまで乗ってもらってるんで!!!ほんと、いやもっと急ぎますね!!!」
大丈夫やからっ!!!!笑
何やろう。彼があらぬ方向に勘違いをしてることはおそらく間違いないけど、それをどう正して良いのかが分からない。
「あのー僕、そっちの人じゃないですよ?」
とか言うのちょっと違うし、万が一
「へ?何の話です?」
って返されたらめちゃくちゃ恥ずい。
少し悩んだ末に、もうこのまま放っておくことにした。
その後もえらく低姿勢で接する運転手さんに少し申し訳ない気持ちもあったので、到着して降車する際に、丁寧気味にお礼を言った。
「ほんと、こんな夜中にこんな長距離走って頂いてありがとうございました。」
「いやいやいやいやいや!!!!もうほんと!こちらこそです!そんなん謝らんといてください!ほんまもう!やめてください!謝らんといてください!!!!ほんまもう〜!!」
・・・・・・・・・・・
・・・・・・
いや、謝ってへん!!
なんかこちらこそ本当に申し訳ない。。
大の大人の態度を豹変させてしまうとは、、、しかも最後まで誤解は解けぬまま。
でもちょっと面白かったな。
でもこれ、、、、あれや、、、
悪い自慢するおっさんとやってること変われへん。。。
あんなに嫌いだったはずなのに、、、いや、自慢はしてないけど、でも威圧的に取られたなら同じかもやし。しかも誤解解いてないし。。
結局、自分が嫌いなのって自分がしてることなんかなぁと、、、、
いや!
違う!!!
何でちょっと凹まなあかんねん!!!!!
ちゃう!!
俺、悪ない!!!!!!
悪いとしたら、勘違いしやすい運転手さんとこの地域や!!!!!
将来は高級住宅街に住む!!!!
あっちなみに108個ある嫌だなと思えるおっさんの一つは
全然面白くないのに「俺面白いで」のテンションでめっちゃ喋る空気読めへんおっさん
です。見分け方は
「バンドやってるんです」
「何てバンドや?」
「カルメラです」
「カリメロやて!」
こういう人90%はそうです。
最後偏見です。すみません。
以上パクシンでした。それではまた。
【お知らせ】
明日、ちょっとした発表がありますのでTwitterチェックしておいてください。
久々にブログを更新しました。#はてなブログ #メモシン
— パクシン Calmera カルメラ (@pakshin) 2019年3月23日
勘違い - MEMOSHIN https://t.co/r7zzWsCj6B
先輩の可愛がり
今まで沢山の先輩にお世話になってきた。そして、今も本当に様々な先輩に良くして頂いている。先輩という存在無くしては何事もうまくいかなかっただろう。色んな先輩がいる中、お茶目な人も多い。「この人・・暇なの?」って勘違いしてしまうようなじゃれ方をしてくる人もいてるんだけど、そんな先輩の一人を今日は実名で紹介します。
THE イナズマ戦隊のドラマー、久保さん。
この人は本当に良い先輩なのだけど、絡み方が変化球。直球じゃないのがもう逆に面白い。どんな絡み方をするかと言うと、主に電話をかけて来る。それも特に大事な要件がある訳ではなく、飲みの誘いをする訳でもなく、主にSNSの投稿に対するリアクションとして電話をかけて来る。僕はまだ少ない方だけど、自分のバンドの他のメンバーが久保さんからの電話の対応をしているのをよく見る。僕はそれを見て
いや、リプライって知ってる?
と思っているんだけど、久保さんからすれば大事な事だかららしっかり電話で伝えた方が良いかなと思っての事らしい。しかし、傍目で見ている限りは特に大事とは思えない内容がほとんどだ。
ターゲッティングされたメンバーはおそらくTwitter、Facebook、Instagram、ブログなど、ありとあらゆるSNSを隈なく久保さんにチェックされているはず。「え?そんなことも知ってるんすか?」となるぐらいに、久保さんの我々に対する監視はなかなかに厳しい。
そして先日、メンバーからこんなラインが来た。
突如届いたボイスメッセージ。聞いてみるとどうも留守電の録音のようだ。
以下はその書き起こし。
もしもし パクシン君?
この前ブログ書いてたの読んだんだけど
「いつものカフェで」みたいな書き出しだったんだけど、まるで
「僕、いつもカフェにおりますねん」みたいなそういうアピールはいらないと思いまーす。
以上、報告までに連絡しましたー。失礼しまーす。
いやいやいやwwww
まず冒頭に「もしもしパクシン君?」って言ってるけど、そもそも俺にかけて来てないやん。
どういうことですか。直接言ってきてくれたらええやん。笑
何で他のメンバーに電話した冒頭が「もしもしパクシン君?」なん。こんなん笑うやんwww
あっブログ読んでくれたことはありがとうございます。
で、本題の
「僕、いつもカフェにおりますねん」みたいなそういうアピールはいらないと思いまーす。
やけど、、、、ちゃうやん。そんなんちゃうやん。まぁちょっとこれに関しては僕も気取ったとこあったかもしれないんでそれに関しては反省します。。
でも
「僕、いつもカフェにおりますねん」
みたいな言い方せえへんやん。そんなにコテコテじゃないやん。「おりますねん」って言ってる時点でカフェにいる気取ってる感じ半減するやん。
え・・・・・
暇なん!?
てなるやん。これは。
しかし久保さんは決して暇な人ではない。人気のあるバンドで超多忙なお方なので、忙しい中隙を見て我々の動向をチェックし、ちょいちょいこういうのを放り込んでくれているんだろう。そう考えると、これはもはや愛としか言いようがないなと思っていまして。一種の愛情表現であり、可愛がりでもあるんだなと受け取っています。ありがたい。
SNSに何かをあげる
↓
久保さんのチェック入る
↓
たまにどうでもいい指摘入る
↓
若干鬱陶しいノリ出すけどオモロい(ちょっとだけ嬉しい)
↓
久保さんもちょっとだけこの感じ、悪くないと思ってる(多分)
っていう無限ループという、今までになかった先輩との絆の作り方してます。
どうでもいい事がほとんどではあるけど、そんな久保さんが自分が結婚した時にそのお祝いの言葉を”大事なことだから“と電話で祝福してくれた時は嬉しかったな。本当に大事なことも、ちゃんとそうやって言葉で伝えてくれるのは嬉しいし、だからこそ僕はこの人の事が大好きなんだなと思えました。
そんな久保さんのいるイナズマ戦隊のライブが見たくなって来た。そろそろ直接顔見て話したいな。電話じゃなく。笑
このブログに対する反応も何かしらあるんだろうな~・・・
いただきますとごちそうさま
気付けば30歳になっていた。幸か不幸か人よりもいくらかは少年の心は失わずにいてる気がするけど、年齢的には立派な大人。もちろん、まだまだ未熟な身であることは自覚しているけれど、それでもハタチの頃から考えると大人になったなぁと自分で思えることが少しはある。
ここ最近、改めて大人としてちゃんとしたいなと思っていることは「いただきます」と「ごちそうさま」を口に出して言うということ。
いや、それ幼稚園児レベルの常識やんって話かもしれないけど、それが意外に出来ていないという事に気付いた。
家でだけできていても意味がない。友人や知り合いと外食している時、例えば飲みの場などで100%できているかと考えると、これが意外にできていない。それどころか、一人での外食、例えば牛丼やラーメンなどチェーン店でサクッと済ませる場合を考えるとほぼできていない。
ふと気付いたこの事実に少し反省し、できるだけ気をつけるようにしている。チェーン店でも誰かが作ってくれている訳だし、頂く命に感謝をしなければ。と言っても、大きな声を出すのはちょっと憚られるときもあるので小声で言ったりしてる。ただ、これは多分僕だけだと思うんですけど・・一つ弊害があって。
タクシー降りる時に高確率で「ごちそうさまでした」って言っちゃう・・・・
特に呑んだ帰りだと酔いも相まってか、ほぼ言ってしまう。
めっちゃハズい・・・・
先生の事お母さんって呼んでしまった現象と同じ恥ずかしさ。
ちなみに昔マツオ君という友達とマリオカートで遊んでいて、その後そのマツオ君のことを「マリオ」と呼んじゃったことあります。イントネーションはマツオのまま。マ↑リオじゃなくマリ↑オ。言い終わる瞬間に自滅しました。
話が逸れたけど、このタクシー降りる時にごちそうさまでしたって言っちゃう問題が何故起こるか考えてみたら、多分、会計の時の会話がほぼ飲食店と同じなことによって、反射的に口を突いて出てきてるんじゃないかと。
「はいどうも◯◯円になります。領収証はどうされますか?」
「あっお願いしますー。はいこれちょうどです。」
「はい。確かにちょうど頂きました。忘れ物無いようにお気をつけて。」
この会話、飲食店にもタクシーにもぴったり当てはまりませんか?
こう来ると言ってしまうのは
「はーい。ごちそうさまでしたー。」
の一言しかないやん。
でもこれは、反射的に口に出てしまうほど、普段心がこもってない証拠なのでは?とも思う。なので、これからはもっとちゃんと感謝の気持ちを込めて「いただきます」と「ごちそうさま」を言っていきたいと思います。