ガラスを通して見えた哲学
目を凝らしてみると、物事の奥深くまで見えることがある。パクシンです。
中途半端に要領が良かったりすると、物事を一目見ただけで『あ!これこういうことね〜。はいはい。』と、分かった気になってしまう事があると思います。でもそこには、複雑な外的要因が重なった末、微妙なバランスで成り立っている構図や、ドラマティックなバックグラウンドがあるかもしれません。
桃太郎がいました。
鬼退治に行くことにしました。
そんな桃太郎に、おばあさんがきびだんごを持たせました。
犬が現れました。
桃太郎は犬にきびだんごを与えました。
犬が仲間になりました。
猿が現れました
桃太郎は猿にもきびだんごを与えました。
猿も仲間になりました。
犬と猿が仲間になった一行が歩いていると、雉が現れました。
……
…
はは〜ん
はいはい。これはまた桃太郎さんがきびだんご与えて、雉も仲間になるパターンでファイナルアンサー。そして一人と二匹と一羽で力合わせて鬼退治してハッピーエンドでしょ?
はい終わり!この話読めたから終わり!お母さん!もう話最後まで分かったから次のお話にして!一寸法師とか!あっでもおじいさんおばあさんがファースト登場人物パターンも飽きたから別のにして!刺激的なやつ!耳なし芳一とか!
若干の誇張はあるものの、察しの良い子供ならこういう風に感じるかもしれない。パターンを予測して、一目見て全てが分かった気になる典型ですね。
しかし、一見ワンパターンに見えるこの構図も、複雑な背景があるかもしれない。
空腹でどうしようもなく、誰も助けてくれず、餓死にしそうなところにきびだんごを与えてくれた、心優しい桃太郎に恩義を感じて仲間になることに決めた犬。
なんとなく楽しそうだからついてくことにした猿。
一族の掟と予言により、きびだんごを与えし勇者の仲間になることを産まれた時から定められ、その勇者を探す旅をしていた雉。
どれも"きびだんご与える→仲間になる”のパターンだけど、それぞれにこういう背景があるかもしれないし、絵本や語り手によっては、そういう細かい背景の手がかりやギミックをどこかに散りばめて伝えられているかもしれない。
もちろん、桃太郎という昔話の大筋はどれも一緒だろうから、そこだけ分かっておけばその子の人生に何も支障がないので、時短という意味でも、予測される展開で満足するのは別に間違いじゃないと思う。
でも、僕は思いました。できることなら、細かいところにも目を凝らし、物事の本質まで知りたい。
チラっとだけしか見てないものを、分かった気でいてる自分はもう嫌だ。
だから…
コンタクトにしました
普段は裸眼、たまにメガネという形で生活していましたが、0.4,5ぐらいの視力では裸眼の生活に不便を感じることもあり、メガネをずっとつけるのもあまり好きじゃないので(失くす)、そろそろコンタクトデビューかなと。
という訳で行ってきました。コンタクト専門?の眼科へ。
新宿にある綺麗な診療所。スタッフの方々は皆さん、スラッとした美人揃い。
僕の担当は、その中でも目を引く、どこか可愛らしさのある方でした。目を引くといっても、0.4の視力。何事もぼやけて見えてしまっているので、そこに対する自信は少し弱いです。
早く本質を!本質を見極めたい!!
という、はやる気持ちを抑えながら、検査に移ります。
何てことない、視力や眼に関する会話でも、自然に弾んでしまう会話。
『この視力で普段はメガネかけてないんですか?』
『はい。裸眼で勝負してました。』
『クスクス。それは中々の戦いでしたね〜。(ニッコリ)』
うわぁぁぁぁ!!!
何やねんそれぇぇぇぇ!!!
と何だかキュンと来ながらも、自分の会話レベルの低さに赤面しておりました。
そして、コンタクトの種類を一緒に選び、付け外しの訓練へ。
『初めは私がつけますね』
といって、体をよせ、顔にふれ、僕を見つめるその人。
上を向いて下さい、目線を下に、などの指示に言われるがままに従い、コンタクトをつけたり外したり。
『痛くありませんか?大丈夫ですか?』
と事あるごとに気遣う彼女。質問に答える度に、クスクスと笑い、可愛らしいリアクションをしてくれる。
ふと気付くと、いくら仕事の一つのコンタクトつけ外しの訓練だからと言ったって、距離が凄く近い気がする。
"え…大丈夫?これ胸とか当たってない…?"
と心の中で心配になって、自分から距離をとってしまいそうになる。そんな僕に
『あっ逃げないでちゃんと顔こっちに向けて下さい!』
と優しく諌める彼女。
これ何やねん…
え?何これ何これ?ここ、あれっすよね?眼科っすよね?何かそういうとこじゃないよね?ひと昔前に流行った耳かき 屋の眼バージョンじゃないよね?何々??コンタクト外来ってみんなこんな感じ?やばない?
普通の眼科だとしてですよ。普通の!普通の眼科とするならですよ?
これはもはや…
この人俺のことちょっと好きなんちゃうやろうか…
そんな馬鹿げた妄想が頭を一瞬よぎっては、いやいやそんな訳ないやん!と心の中で一人ノリツッコミを繰り返しては、でも…というループにハマる自分。
はいそうですよ。自意識過剰が歩いてるような人間ですよ。
でもそんな事は分かってます。この妄想が無い事も分かってます。でも、無い話じゃないやん!無い話じゃなくない!?2%ぐらいは可能性あっても良くない!?
まぁ無いでしょうけど。
“でも…"
と思ってしまう僕の心は、ある程度物事が見えたつもりでいました。
視力0.4ながらに。
そして、最後は自分でのコンタクトつけ外し。
あぁ〜この時間ももう終わりかぁ
という少しセンチメンタルな気持ちが裏目に出たのか、思いの外時間がかかりました。
悪戦苦闘の末、何とか自分でコンタクトの装着ができました。
『できました!入りました!』
と嬉々として報告すると
『わー!良くできましたね!どうですか?良く見えますか??』
と笑顔で語りかける彼女。
ええ。良く見えますよ。
良く見えます。
あなたの左手の薬指に光るシルバーリングがね。
裸眼でも見えていたはずなのに!!コンタクトになってくっきりはっきり周りの物が良く見えてしまった結果、真っ先に目につきましたよ!!
そして名札!
名札や!!!
さっき眼球診てくれた男の先生と一緒!!!
夫婦!!!?
まさかの夫婦!!!!?
俺の気持ちっ!!!!!!
視力が良くなり、見えた物事。それは、淡い期待が幻想だったということ。そして、自分のどうしようもない自意識過剰っぷり。
冒頭に語った、物事の本質を見たいが為に意を決して手に入れたコンタクトレンズ。そのレンズを通して見る事ができた物事の本質とは、まさに自分の愚かさでした。
まさかの事実に傷つき、自分のアホさに傷つき、無駄に二重に傷つくことになってしまった。
こんな事になるなら、何も知らずに過ごしていたかった。過去に戻れるなら、物事の本質がどうこう!とか言ってる自分を諌めてあげたい。
要領の良い子供にも『それでええで。そのまま良いとこ伸ばしていき』って言ってあげたい。
大丈夫。犬と猿と雉はきびだんごに釣られただけやから。一族の掟とか定めとかある訳ないから。
そう。
そうですよ。
そうなんですよ!
想像力やインスピレーションというのは、あまり現実を知りすぎてしまうと湧いてこないものなのではないでしょうか。
少なくとも僕は今回の件からそう感じました。
だから今、このブログを裸眼で書いています。
まぁ色々と今回の件で辛い思いをしましたけど、コンタクトレンズを通して哲学を学んだと、良い風に、そして相変わらず自意識過剰に考えておきます。何が哲学やねんという批判は受け付けません。てゆうか俺のコンタクトガラスちゃうし。シリコンやし。
久々の更新がこんなんですけど、またちゃんと書いていきますので見捨てないで下さい。
近々メガネ買いにいこ。
以上、パクシンでした。