『パクシンの部屋TOKYO vol.1』と残されたエビチリ
良い人間性っていうのがどういうものなのか、定義することはできないけど、周りで出会う人は素晴らしい人間性を持っている人が多い。
『俺もこんな人になれたらな〜』
と思うけど、自分にはまだまだ理性で抑えきれないクズ人間な感情があるみたいで、中々良い人になれていないと思う。
会話の中で、あからさまに空気を読まずに出た言葉には
『何やねんその発言。めっちゃおもんないやん。』
とか普通に思ってしまうし、大人数で中華料理を食べに行ってエビチリが残り最後の1個という場面にでくわしたら、
『良いよ良いよ誰か食べて下さい』
という空気を醸し出しながらも、どうやって自分がこの残り一つを食べられるかということを考えている。
成功している人の多くは、素晴らしい人間性を持っているとよく聞くし、実際出会ってそう感じた事も多いんですが、たかがエビチリ一個に打算的であさましい感情を持つ自分は、まだ成功者たる人格には程遠いなぁと感じていました。
話は変わって、昨夜は下北沢のcafe/fieldにて自分の主催イベント
『パクシンの部屋TOKYO』
の第一回目でした。今まで、大阪では不定期に開催していましたが、いよいよ根を張ってきた東京で、自分の活動をしようと、今回第一回目にこぎつけました。
いつもお世話になっているお店を、自分のホームとして位置付け、毎回ゲストをお呼びして、僕のピアノで伴奏し、その日だけの演奏を届ける。また、僕自身が主導するトークで、ゲストの方の音楽遍歴や人間性、想いなどに触れていく。そんな趣旨と想いで、これから続けようと思っています。
iCasちゃんは、バンド活動がメインですが、オレスカバンドの楽曲製作を一手に担っているその音楽性と、パワフルで綺麗な歌声に引き込まれていた僕は、気付けば第一回目のゲストとしてオファーしていました。
快くOKしてくれた彼女と、まずは演奏する曲目を決める打ち合わせをしましたが、びっくりするほどすんなり進み、そこで彼女の色々な話も聞いたのですが、その話の中でイメージが降りて来たので、僕は彼女に対して一曲、作詞作曲をさせて欲しいとお願いしました。
そして昨日の本番。
「やさしさに包まれたなら」などの名曲のカバーや、オレスカバンドの曲をアコースティックバージョンでやったり、僕の持っている曲を歌ってもらったりと、色々な事をやりましたが、全てに対してリハーサル以上のものを出してくました。
終始和やかなムードだけど、演奏はピリリと緊張感があって、凄く演奏しがいがありました。
トークで聞いた話は色々ありますが
・18歳でデビューして今まで色々あったこと
・幼馴染みのメンバー達とずっと一緒にやってきて衝突もしたけど、今ではそれぞれの良さを認め合っている
・どんな事があっても常に前向きで、ずっと自分達を成長させてきた
・困難もあったけど、音楽を出来ている幸せを考えるとそれも小さいこと
などなど、iCasちゃんからは上の過剰書きだけでは伝えきれない、色々な言葉が出てきました。
思わず、へぇ〜!と感心したり、凄いなぁと感じる言葉の数々が、すんなりと彼女の口から出てきているけど、それは敢えて良いことを言おうとか、格言めいた言葉を残そうとかいう気持ちではなく、彼女の身体に染み付いている想いなんだというのが、話していると凄く良く分かって、それって凄いなぁと思ったんです。
18歳でデビューして、色々経験してきて、この歳の他の人よりも世間を渡り歩いてきて、すいも甘いも色々あったけど、音楽という芯はぶれずにずっとやって来ている。そして今、確実に成長した曲を作って、凄いライブをしている。
彼女が肌で感じて、経験して来た上で感じたからこそ、色々な素晴らしい言葉というか、想いが身体に染み付いているんだなぁと感じました。
そう考えると、僕は音楽家としての経験はまだまだ浅い。
無理に自分を良く見せようとせずとも、色々な事を経験して、学んでいけば、この人のように色々な想いが身体に染み付いていくんではないのかなと思いました。
まだまだ未熟だけど、自分にも人間性の伸び代はまだまだあるかもしれない。
ある聖人が『右頬を打たれたら左頬も差し出しなさい』と言っていた教えのように、僕もいつか、最後に一つ残ったエビチリを喜んで差し出せるようになるかもしれない。
なんの話や
そんなこんなで、この素晴らしいアーティスト、iCasちゃんの"今"をイメージして僕が書き下ろした曲は、僕のイメージを越えたものになりました。
成長を続けて、次のステージに行く人の歌。絶対に成功を掴む人の歌。そしてiCasちゃんの歌声に合う曲。そんなことを思い描いて作った曲です。
またどこかでこの曲を演奏出来れば良いなぁと思います。
昨日は本当に、iCasちゃんから色々なことを学ばせてもらいました。
そして、忘れてはいけない。昨夜は大阪からわざわざ、ForTuneというバンド(http://www.fortune-official.com/)のトロンボーン奏者すずあんこが駆け付けてくれ、ステージにも参加してくれました。後輩ですが、その意気は本当に素晴らしい。演奏も凄く良かったです。
という訳で、お陰さまで、第一回目は凄くメモリアルな回になりました。
来てくれた皆様に感謝です。
iCasちゃんに感謝!すずに感謝!終わった後のビールが美味しすぎる夜でした!
パクシンの部屋TOKYOの第2回目は、7/28(火)にワンダフルボーイズ(http://www.wonderfulboys.net/)のボーカリスト、Sundayカミデ氏をゲストにお迎えしてお届け致します!
場所は同じく、下北沢cafe/fieldにて、19:30オープン20:00スタートです。
予約は、口頭やSNSなど、そしてメールでは
pakshin.official@gmail.com
で受け付けています。
学生の頃から見ていて、今も色々教えて貰っているサンデーさん。そんなサンデーさんとどんな一夜をお届けできるか、今から僕も楽しみです!
今回、凄くやって良かったと思えた事で、これからこのイベントを定期的に続けていくモチベーションができました。
毎月は難しいかもしれないけど、それでも一定のペースで続けていけたらと思います。
そして頑張って続けていって色々な経験を積み、勉強していきたいと思います。
きっとその先、僕は残されたエビチリを喜んで差し出せるような男になれていることでしょう。
以上、パクシンでした。
先輩と後輩で作ってきた関係が一つのカタチになります
言い方はちょっと悪いけど、僕には舎弟のような存在が何人かいます。と言っても、パシリに走らせたりするような存在として扱ってる訳ではなく、可愛い後輩として、それはもう全幅の信頼を置いて、親友のような付き合いをしている…つもりです。本人たちがどう思ってるかは分からないですからね。
『うわ…またパクシンから電話や…めんどくさ…』
と思っている可能性はなくはないですけど、例えそんなように思われていたとしても、これからも猫っ可愛がりするぜってぐらいの存在です。
その中の一人に、一見何も出来なさそうな気の弱い兄ちゃん風な男がいてまして。普段は95%イモ兄ちゃんを演じ、残りの5%で凄い力を発揮するというちょっと面白いその男に僕は目をかけて接して来ました。
出会いは数年前。当時、パクシンの一の右腕だった藤岡という男から紹介を受けたのが初めてだったんですが、第一印象とは裏腹に、ギアをいきなりトップに入れて近鉄電車の車掌アナウンスやジャパネットタカタのモノマネをする彼のその人間性に驚愕して、自分の懐刀として育てることに決めました。
学年は被っていないながらも、高校大学が同じという絆的なものもあり、それ以来、よく行動を共にするようになりました。
まだカルメラが事務所に所属していなかった時期には、僕が企画することには彼に相談し、微細なことから重要な任務まで色んな事を任せながら、上京した今になっても、カルメラのスタッフとして関西の大きなイベントの時は力を貸してくれています。
今では、こちらから連絡しなくても
『お疲れ様です。何月何日お手伝いしに行かせてもらっても大丈夫ですか?』
と聞いてくるし、人手が欲しくてこちらから電話をすると
『もしもし。大丈夫です。』
と、用件も伝えていないのに、すべてを察してOKの返事をくれるという、できる後輩っぷり。
先日、母校で凱旋ライブをできたのも、この彼の旗振りでできたようなものです。
そんな彼にはいつもしんどい事を頼んで、こちらからお願いすることばかり。俺が何か彼にお返しをしてあげられた事ってあっただろうかと、思い返してみると、彼の持つもの凄い後輩力に対して、自分が先輩としての役割を果たせているかどうかが疑わしくなってきますが、それなりに色々な事を伝えてきたし、教えてきたつもりです。
彼は大学院へ進むそうで、将来はちゃんとした企業に勤めるのかもしれない。今の俺の姿ややっていること、想いを伝えて教えても彼の将来にはあまり関係のないことなのかもしれないですが、それでも役に立つことは沢山あるんじゃないかと思って、手塩にかけて育ててきました。
育ててきたって偉そうに言っているけど、よく考えたら特に何もしてません。一緒にいて、色々なこと伝えたり愚痴を言ったり、やってほしいことの指示を出したり。そんなもんです。
でも彼はぐんぐんと成長しました。ちゃんとNOなことはNOと言うし、与えた宿題には120点満点の解答を返してきます。
成長したなぁ…
と思ってました。そんな彼。あっ彼の名前久保くんって言うんですけど、そんな久保くんが、ある日こんな事を言いました。
『自分でイベントをやってみたいです』
その言葉に僕はもはや驚きもしなかったです。大丈夫。久保くんならできる。僕はその彼に、喜んで色々後押ししますと伝えました。
別に大それたイベントじゃなくていい。久保くんなりの、久保くんらしさのあるイベントでいい。学生でイベントを打つという人は他にも沢山いるけど、無理に大きくしようとして色々と穴があったり、逆に内輪色が強かったり、ちゃんと出来てる人はそうはいない。やるなら、それなりに身の丈にあった、"らしさ”のある事をやればいいよと。僕が言ったそんな助言は、もはや久保くんには必要のないことでした。
ちゃんと考えていました。
『ムンさん(俺)を中心に、うちの大学の軽音楽部出身で音楽活動を精力的にされている方はたくさんいらっしゃいます。これを機会に、ムンさんを中心にしたそういう方が集まったユニットでライブをして欲しいです。音楽的にも絶対に良いし面白いものになると思います。後輩たちも勉強になると思います。お客さんたちも絶対に楽しんで貰える内容になると思います。これからの事はまだ分からないけど、自分がイベントをするならまずはこれからだと思っていました。だから出演お願いできないですか?』
彼は僕にそんな事を言いました。こんな事を言われては、いつものように『え〜俺ギャラ高いで〜』みたいなちょっとした冗談も言えず、僕は『喜んでやらせてもらうよ』と即答しました。
正直、感動しました。
出会ったときは何も知らないちょっと面白い人間。ただの学生だった彼。そんな彼が、自分の背中を見て勝手にいろいろなものを吸収して、自分の想いを胸の中で温め続けていた。そして、俺にこんな相談とオファーをくれた。
バンドでも個人でも、オファーを貰えるのは凄く嬉しいしありがたいことだけど、このオファーは物凄く心に残るものでした。
そこから彼は忙しい中もいろいろと奮闘し、当日に向けて準備をしています。僕も彼の気持ちに応えるために、当日遊びに来てくれる人たちに絶対に楽しんで貰えるために準備をしています。
初回ということで、至らない点もあるかとも思いますが、みなさん、お時間があればこの日、ぜひ遊びに来てみて下さい。
6/26『flatSPACE』@中崎町commoncafe
Adv/Door ¥2500
出演:PAKshin(カルメラ)・松田礼央・ジュンヤベイベー(HONDENA) ほか
ドリンク・フード持ち込み自由!予約、問い合わせはflatspace624@gmail.com まで。
ドリンク、フードは持ち込み自由なので、ワインボトル持ち込むもよし、出前とるもよし、自由に、ざっくばらんに楽しんで下さい!
このメンバーに、さらに現在育成中の後輩、学生ながら関西で様々な活動をしているサックスの山下くんや、ゲストボーカルとしてUK BANDのHitomiちゃんにも参加してもらう予定です。
先輩と後輩が今まで育んできたものの一つのカタチでもある日。この日を楽しみに、もうちょっと準備を頑張ります!
それでは今日はこのへんで。パクシンでした。
ゴッドファーザーと重ね合わせるルーツの話
一番好きな映画は何ですか?という質問をされると困る。この質問は対象が本や音楽、アーティストや芸能人に入れ替わってされる ことだけど、何が一番なんて決めることは難しい。別に、もっともっと特別なオンリーワンなんてこと言いたい訳じゃなくて、自分には確固として答えられる『これにめちゃくちゃハマって影響を受けたんです!俺の人生のバイブルです!!』みたいなものが無いんです。ただそれだけです。
自分の好きな映画を見返したくなることってあるじゃないですか。それで言うと僕は年に1回はゴッドファーザー3部作を見たくなる時期が来るんですよね。やっぱり不朽の名作だなぁと毎回感じるのです。内容だけじゃなく、全体の雰囲気や演技や、何と言っても音楽が良いってのが何度見ても飽きない理由かなと思うんですけど、世のご婦人方の中には
『や〜ね。男の子は。マフィアの映画なんか見ちゃって。憧れかしら?』
的な事をチラッとだけでも思ってる人はいてるかもですね。別にマフィア特有の男世界とか、スリリングさに絶大な魅力を感じて見てる訳ではなくて、僕の場合は特にちょっと違ったところに魅力を感じていたりします。
本土である半島の文化とは少し違った済州島の文化。その文化の中で育った祖父母と同じ境遇の人たちはたくさんいます。当然、その人たちの結束は強く、何よりも血の繋がりを大事にします。一族の長である祖父を皆が尊敬し、一族皆で助け合い、日本の文化に溶け込みながら、多くはいわば韓国系日本人として生きています。
コルレオーネファミリーというマフィアの一家の話でもあるゴッドファーザー。
イタリア半島から離れたところにあるシチリア島という島で生まれた初代のドンがアメリカに渡り、子供達はイタリア系アメリカ人として育ちながらも、独自の文化を育みファミリーを形成しているこの映画は、見ていると自分や自分のルーツに呼応するところが沢山ある気がして、人よりも魅入ってしまうのだと思います。
まぁ僕の世代にとっては他の日本人と違う所なんかほぼ無いぐらい、もう”日本人”としてのスピリットが根付いていますけど、他国の物語ながらも自分のルーツを考えさせる映画なんですね。
ある時、親父が『ゴッドファーザーはようできてる。わしらと似たようなとこいっぱいあるやろう。』と言ってて、当時まだ少年だった僕は完全に頭がハテナだったんですが、今になると、なるほどなと感じる訳です。
その後に
『わしもドンやな』
と言ってた意味は今でもちょっと分からないですけど。
ゴッドファーザーの3部作ではシチリアからアメリカに渡りファミリーを築いた初代のドンから、イタリア系アメリカ人として育った息子にドンの座が引き継がれ、その新しいドンが主人公として進んで行く物語になっているんですが、親父はその主人公に自分を重ね合わせたんでしょうね。
まっっっっっったく違うけど。
ちなみに主人公役はアル・パチーノなんですよね。
親父よ。どこにこの要素あんねんと。髪の毛生やして出直して来いと言いたいですよ息子は。
結婚を4回も経験した親父にとっては、じいちゃんの車壊して半殺しにされかけて教会に逃げ込んだだけじゃない、それなりの人生譚があるみたいですけど、変わらず家族を愛する気まぐれな人のままじじいになってくれれば良いなと思います。
そもそもそこに憧れ持っても俺らごく一般の普通の家庭ですやん。
放蕩息子はドンにはなれんぜ。
と言う言葉を、さらにその放蕩息子から送りたいと思います。
とにかく、自分の家族から愛され、尊敬され、親族友達関係なく周りに囲まれて楽しく生きていけたら良いな。そんな人たちを守って支えていける立派な人間になれれば良いなと思わせる。特に3のラストを見たらより一層そう思う。
僕にとってはそんな映画です。
それと同時に
もうDVDボックス買おうかな。でもきょうびDVDやと画質あれやし、ブルーレイにしようかな。でもブルーレイ観れるやつ持ってないしこれをきっかけに…いや、それは何か違うやん。別に必要ないと思ってるし。でもな〜
という副作用に悩まされている日々です。
好きな映画の1位に挙げてもいいかもしれないけど、何だかありふれてる感がありすぎて、世間体を気にする小心者と自己顕示欲の塊という醜い性格を併せ持つ僕としてはまだ一歩決め手にかける気がしてるので保留とします。
あぁ…
素直になりたい。
以上、パクシンでした。
頑固者のマスターと俺
いつもよく行く喫茶店のマスターは絵に描いたような頑固者だ。
本当に頑固者かどうかは分からないけど、ものすごく頑固者っぽく見える。いつも寡黙で、コーヒーサイフォンを睨みつけるように見ながら、真剣にホットコーヒーを淹れているその様はまさに職人の姿そのもの。常にカウンターの中にいて、新聞を読んでいるかコーヒーを淹れるかだけど、よく見る同年代の常連の集団が来た時は一緒にテーブルを囲んで談笑している。それでも別に饒舌になる訳でもなく、相槌を打つくらいで、僕がまともに発するマスターの声を聞けるのは、たまに言う『いらっしゃいませ』と『ありがとうございました』ぐらいのものです。
今までに一度、マスターが積極的に話しているのを聞いたことあるけど、それはこのブログで書いた、イタズラなkissについて熱く語っている時ぐらいかもしれない。
僕はこのお店に結構な頻度で通っているし、間違いなく常連の一人だと思っている。店にはマスターの奥さんであろうママもいてる。笑顔で接客してくれるそのママには『いつもありがとうございます』と言われる。それって常連やん。
そんなママとは正反対の雰囲気のマスターには、一度も常連と認める発言をされたことがない。
別に求めている訳ではないし、必要なことでもない。マスターが憮然としているからもう通わないって事はないし、これはこれで距離感が心地良い。
もしこれが大阪の喫茶店だったら…
『兄ちゃん今日も来たんか!』
から始まり、ゆっくりコーヒー飲んで落ち着きたい俺の心境をよそ目に、マシンガントークが繰り広げられるっていうパターンはよくあると思う。仕事何してんの?とか、彼女おるんか?ていう質問は序ノ口で、聞いてもない持病の話や家庭内の問題の話を聞かされ、果ては
『わしもう死ぬから』
と、若者が反応に困るシニアジョークランキング堂々の1位のこの言葉を聞かされる。
どこもそうって訳じゃないけど、大阪の喫茶店っていうシチュエーション考えるとこの会話のパターンはかなり予想がつく。
でもその空気感、実は嫌いじゃない。
いつも来てるこの喫茶店の距離感も心地良いけど、そういうフランクな感じも悪くない。行き過ぎは嫌やけど。でも、この店のマスターにそんな事を求めているわけではないです。ええねん。この距離感がええねん。もしかしたら、頑固者のマスターが『若いお前なんかうちの常連とは認めてないぞ』と思っているかもしれないけど、それでええねん。その少し張り詰めた緊張感もええねん。それを優しいママがカバーしてるから尚更それでええねん。それでええねん。それでえーえーえーええねん。
そんな事を考えながら、今日もいつものようにこの店に来ました。
いつもホットを頼むけど、今日は気分を変えてアイスコーヒーを注文した。考えてみたら今シーズン初めてのアイスコーヒーかも。そう思っていると、マスターが一言
『いつもブラックだけど、アイスコーヒーの時はシロップとミルクどうしますか?』
と聞いてきた。
!!!!
マ、マスター…!
何て憎い事を…こ、これがあれか…粋ってやつか!
この発言は、紛れもなくマスターが俺のことをちゃんと認識している上で、俺のいつもの注文まで分かってくれている発言。いつもは寡黙で会話なんてほとんどしたことないけど、注文のタイミングでそれとなくこういう発言をしてくれる、そういう所にグッと来た。別にドヤ顔でもなけりゃ、笑顔でもない、いつもの憮然とした顔と声。普段と何の変わりもない様子でそう聞くマスターに、僕も驚きとちょっと嬉しい感情を隠して、涼しげな表情で『ブラックでお願いします』と返事をしました。
運ばれて来たアイスコーヒーを飲みながら、心の中で
"うわ…にがっ!完全にこれシロップちょっとだけでも入れた方が良いタイプのやつや…"
と思いながらも、あのやりとりの後に『やっぱシロップ下さい』なんか言えるはずもないので、涼しげな表情で激苦アイスコーヒーを飲みました。
ええねん。
今日は滅多にないマスターのデレが出たし、気分が良いからええねん。
そう思いながら本を読み、自分の時間に浸っていたんですけど、何だか向こうのテーブルが騒がしい。おいおい、何やねん。ここ居酒屋ちゃうぞ…勘弁しろよ、この静かな喫茶店で…と思いながら、そのテーブルの方に目をやると
マスターめっちゃ喋ってるやん…
常連っぽい人たちに混ざってマスターめっちゃ喋ってるやん…
えぇ…俺のあの小さな喜びが極小のシャー芯のような出来事に感じるぐらい、マスターめっちゃ喋ってる…
めっちゃ笑ってる…
まぁ…多分、機嫌良かったんやな。
あのマスターがそれぐらい機嫌が良いってことは、今日の出来事はやっぱり凄く貴重な事には違い無いんだなと思うことにしました。
でも、もしこの先、マスターが好々爺になり、若者が反応に困るシニアジョークランキング堂々1位のあの言葉を浴びせてくるようなことがあるなら、その時は
『残りの人生、悔いのないように生きて下さいね』
ってクソ真面目に憮然とした表情で返したろうと思ってます。
何だか最近、東京に馴染めて来た気がする。以上、パクシンでした。
時を超えて共鳴した遺伝子
先日、大阪の味園ユニバースで開催された『キャバレーなう!』というイベントに出演しました。
昭和のキャバレーが一日限りの復活というコンセプトで、昔を懐かしんで来場されているお父さん方がちらほらおられたのが印象的でした。
実家に帰りその話をしていると、うちの親父も『若いときはようユニバース行ったわ』と言ってました。
絵に描いたような放蕩息子だった親父。そりゃ、当時全盛期だったユニバースでも遊んでいたに違いないだろうということは容易に想像がつくので、特に驚きもせず生返事をする僕。
『当時のあの姉ちゃんらも、もう70とかなってるんやなぁ…』
急にセンチメンタルな声色でポツリとそう呟き、日本酒をぐいっと飲む親父。
そういえば、ユニバースの楽屋には当時の写真が色々と貼られていました。数々あるモノクロ写真には、その盛況っぷりや楽しそうな雰囲気など、当時の様子が写し出されていました。
そして、当時のホステスさんの写真も何枚かモノクロであったんですけど、それを見て
“こ…これが当時のナウでヤングか…!!"
親父のセンチメンタルな呟きを聞いた後に、先日の写真を見た時こう思ったことを思い出して、やっぱり人に歴史ってあるんやなぁと改めて痛感しました。
間違いなく、親父の青春の1ページがその場にはあったんでしょう。
『ひこちゃん(親父のあだ名)が赤いチャンチャンコ着てミナミのディスコで踊ってた』
こんな噂が近所に立ち、遊び歩いてる事がじいちゃんにバレて半殺しにされるというエピソードを持つ親父にとっては、ユニバースも一つの思い出深い遊び場だったんでしょうね。
そこで甘酸っぱい思い出があったのかもしれないし、親父のことだからナンパに精を出していたかもしれない。もしかしたら、赤いチャンチャンコ着て踊ってたのはこのユニバースかもしれないですね。
赤いチャンチャンコって…
ベストのことやろ…
そう思うと、ベストがかつてチョッキと言われていたそのはるか昔、呼ぶ人にとってはチャンチャンコって言われてた時代だとすると、やっぱりかなり昔の話なんですね。親父は30年以上、下手したら40年近く前やって言ってたし。
どうあれ、親父が今の俺の世代ぐらいの時に、彼にとってよく行く遊び場だったユニバース。おそらく、今でも思い出せるような色々な思い出があるんでしょう。
話は少し離れますが、僕は山下達郎さんが大好きです。
産まれて初めて歌えるようになった曲は、クリスマス・イブです。一円玉の旅ガラスと競うけど。
これは間違いなく父親からの影響です。
親父は山下達郎が大好きで、今でも時折口ずさんだりしています。
聞けば当時から大好きらしく
『ようディスコで踊ったんや』
と言っていました。
話は戻って、先日のキャバレーなう!での出来事。
イベントが終了して徐々に客出しが行われているとき、最後のDJがBGM的に色々な当時の懐メロをたくさんかけていました。
”あぁ良い曲だなぁ”
と思いながら楽器を片付けていたんですけど、そこでいきなり、山下達郎のFUNKY FLUSHIN’という曲が流れました。
ギターのリフから始まるファンキーでダンサブルなナンバー。
小さい時から大好きでたまらない曲!
思わずテンションが上がって、歌詞を口ずさみながらステップを踏んでいました。
ん…待てよ…
今になって考えてみると、うちの親父も当時ここで山下達郎を聞きながら踊っていたのかなぁ。
そう考えると、何だかちょっと不思議な気分になって。
あの片付けのとき、僕がこの曲でステップを踏んだ時、何十年という時を超えて親子の時間が共有されたような、そんな気持ちに今なっています。
もちろん俺は赤いチャンチャンコも着てなければオネエちゃんと一緒にきゃっきゃしてた訳でもないけど。
可能性は低いとしても、本当に親父がここでそうしてたという事実が重要なんじゃなくて、今こうやって父親と息子の不思議な?繋がりを感じられるのが素敵な事だなぁと思えます。
大げさに言うと、遺伝子が震えたような感じかな。いや、何か上手く言えない。
でも何だか言葉で表現しにくいこの出来事をちゃんと記憶に止めようと思って、今日はこのブログを、もちろん山下達郎さんを聞きながら書いています。
やっぱり俺は親父の息子だ。
今度帰ってゆっくり話す機会があれば、なかなか自分の昔話をしない親父にこの話をして色々と聞いてみようか。色んな話が飛び出してきそうで楽しみです。
という訳で以上!パクシンでした!
脳の力が持つ無限の可能性を祖父から感じた話
いくつになっても勉強は必要。パクシンです。
最近、自分のルーツとして韓国語、そして英語の重要さ、それらを勉強する必要性が自分の中でどんどんと大きくなっていってます。
ちゃんと勉強をしよう。どっちも素養はあるはずだし、ちょっとずつで良いからきちんとしよう。
そう思ってはいるんですが、二言語を同時にできるのか?という疑問もあります。頭の切り替えがちゃんとできるんだろうか?
その疑問に答えてくれる人が身近にいました。
その人物は何を隠そう、うちの祖父です。
じいちゃんは韓国済州島で産まれ育ち、戦争のごたごたで日本にやってきました。
その後、大阪に根を張って今まで暮らしてきているんですが、じいちゃんの日本語のイントネーションは東北弁に近いです。
どこでどうなってその東北訛りになるのか…。ちなみにばあちゃんは綺麗な第二標準語(関西弁)で話します。
そういえば松本清張の代表作『砂の器』では、殺害された被害者が東北弁だったことから、主人公の刑事は東北に調査に行くものの手がかりがつかめず、調べてみると、東北訛りと同じような言葉が使われる地域が島根県にあり、その事実が事件解決の糸口になるっていう筋があったけど、うちのじいちゃんも同じように、方言が極所的に飛び火したんやろうか…
その疑問を実際にぶつけてみると、じいちゃんは『日本に来たとき、はじめは茨城に住んでたからなぁ』と東北訛りで言ってました。
え?茨城?関係なくない?
と思って調べると、茨城県でも東北に近いイントネーションのところはあるみたいですね。知らんかった。
どうあれ、その東北訛りっぽい日本語に加え、韓国訛り、発音がおかしい関西弁などがミックスされた彼の口から出てくる言葉に
え…?何言うてはるんですか…?
ってなる事もしばしば。しかし、特筆すべきは彼の言語使い分け能力です。
ばあちゃんと喧嘩している時など、じいちゃんもばあちゃんもお互いに韓国語で、なにやら興奮しながら喋ります。罵りあっているのか?不満をぶつけあっているのか?お互い凄い剣幕で会話が飛び交います。
じ『◯△×☆◯△×☆◯△×☆!!!!!!!!!!!』
ば『◯△×☆◯△×☆◯△×☆!!!!!!!!!!!』
と、まぁ何言ってるのかさっぱり分からないんですが、そんな会話にもちょいちょい日本語が挟まってくるのです。
じ『◯△×☆◯△×☆◯△×☆!!!!!!!!!!!』
ば『◯△×☆◯△×☆◯△×☆!!!!!!!!!!!』
じ『何言うてんねん』
ば『◯△×☆◯△×☆◯△×☆!!!!!!!!!!!』
みたいな感じで。
それを見て僕はこう思う訳です。
あっ…やっぱり突っ込みは関西弁なんや…
関西弁と言っても、発音は全然違いますけどね。上記はあくまでも一例であって、近くにいてるともっと言語の切り替えの瞬間を見ることができます。
東北弁っぽい訳わからん訛りの日本語に、ふと見せる変な訛りの関西弁、韓国語。この3言語をスイッチングしてるじいちゃん。そんなじいちゃんを見ていると、違う言語を同時に勉強しても、多分大丈夫なんだろうなぁと勇気付けられます。人間の脳ってうまいことできてるんだなと。
そんなじいちゃんは、僕が上京する時に
『東京もんになるからって言って、標準語になんなよ』
的な事を僕に言いました。
……
いや、じいちゃん!!
あなた全然関西弁喋れてないから!!
そう心の中で感じはしたけれども、そこは素直に『はい』とだけ返し、今も僕は大都会東京の中で第二標準語を母語としています。
そして、人間の脳の力が持つ無限の可能性をじいちゃんから学んだので、安心して韓国語と英語を同時に勉強していきたいと思います。
喋れる友達できたら早く習得できるかな〜。と思いながらも、まだまだインプットの時期かなと思って、しばらくは教材使いながらしこしこやります。
祖父は偉大なり。
以上、박신でした。
ガラスを通して見えた哲学
目を凝らしてみると、物事の奥深くまで見えることがある。パクシンです。
中途半端に要領が良かったりすると、物事を一目見ただけで『あ!これこういうことね〜。はいはい。』と、分かった気になってしまう事があると思います。でもそこには、複雑な外的要因が重なった末、微妙なバランスで成り立っている構図や、ドラマティックなバックグラウンドがあるかもしれません。
桃太郎がいました。
鬼退治に行くことにしました。
そんな桃太郎に、おばあさんがきびだんごを持たせました。
犬が現れました。
桃太郎は犬にきびだんごを与えました。
犬が仲間になりました。
猿が現れました
桃太郎は猿にもきびだんごを与えました。
猿も仲間になりました。
犬と猿が仲間になった一行が歩いていると、雉が現れました。
……
…
はは〜ん
はいはい。これはまた桃太郎さんがきびだんご与えて、雉も仲間になるパターンでファイナルアンサー。そして一人と二匹と一羽で力合わせて鬼退治してハッピーエンドでしょ?
はい終わり!この話読めたから終わり!お母さん!もう話最後まで分かったから次のお話にして!一寸法師とか!あっでもおじいさんおばあさんがファースト登場人物パターンも飽きたから別のにして!刺激的なやつ!耳なし芳一とか!
若干の誇張はあるものの、察しの良い子供ならこういう風に感じるかもしれない。パターンを予測して、一目見て全てが分かった気になる典型ですね。
しかし、一見ワンパターンに見えるこの構図も、複雑な背景があるかもしれない。
空腹でどうしようもなく、誰も助けてくれず、餓死にしそうなところにきびだんごを与えてくれた、心優しい桃太郎に恩義を感じて仲間になることに決めた犬。
なんとなく楽しそうだからついてくことにした猿。
一族の掟と予言により、きびだんごを与えし勇者の仲間になることを産まれた時から定められ、その勇者を探す旅をしていた雉。
どれも"きびだんご与える→仲間になる”のパターンだけど、それぞれにこういう背景があるかもしれないし、絵本や語り手によっては、そういう細かい背景の手がかりやギミックをどこかに散りばめて伝えられているかもしれない。
もちろん、桃太郎という昔話の大筋はどれも一緒だろうから、そこだけ分かっておけばその子の人生に何も支障がないので、時短という意味でも、予測される展開で満足するのは別に間違いじゃないと思う。
でも、僕は思いました。できることなら、細かいところにも目を凝らし、物事の本質まで知りたい。
チラっとだけしか見てないものを、分かった気でいてる自分はもう嫌だ。
だから…
コンタクトにしました
普段は裸眼、たまにメガネという形で生活していましたが、0.4,5ぐらいの視力では裸眼の生活に不便を感じることもあり、メガネをずっとつけるのもあまり好きじゃないので(失くす)、そろそろコンタクトデビューかなと。
という訳で行ってきました。コンタクト専門?の眼科へ。
新宿にある綺麗な診療所。スタッフの方々は皆さん、スラッとした美人揃い。
僕の担当は、その中でも目を引く、どこか可愛らしさのある方でした。目を引くといっても、0.4の視力。何事もぼやけて見えてしまっているので、そこに対する自信は少し弱いです。
早く本質を!本質を見極めたい!!
という、はやる気持ちを抑えながら、検査に移ります。
何てことない、視力や眼に関する会話でも、自然に弾んでしまう会話。
『この視力で普段はメガネかけてないんですか?』
『はい。裸眼で勝負してました。』
『クスクス。それは中々の戦いでしたね〜。(ニッコリ)』
うわぁぁぁぁ!!!
何やねんそれぇぇぇぇ!!!
と何だかキュンと来ながらも、自分の会話レベルの低さに赤面しておりました。
そして、コンタクトの種類を一緒に選び、付け外しの訓練へ。
『初めは私がつけますね』
といって、体をよせ、顔にふれ、僕を見つめるその人。
上を向いて下さい、目線を下に、などの指示に言われるがままに従い、コンタクトをつけたり外したり。
『痛くありませんか?大丈夫ですか?』
と事あるごとに気遣う彼女。質問に答える度に、クスクスと笑い、可愛らしいリアクションをしてくれる。
ふと気付くと、いくら仕事の一つのコンタクトつけ外しの訓練だからと言ったって、距離が凄く近い気がする。
"え…大丈夫?これ胸とか当たってない…?"
と心の中で心配になって、自分から距離をとってしまいそうになる。そんな僕に
『あっ逃げないでちゃんと顔こっちに向けて下さい!』
と優しく諌める彼女。
これ何やねん…
え?何これ何これ?ここ、あれっすよね?眼科っすよね?何かそういうとこじゃないよね?ひと昔前に流行った耳かき 屋の眼バージョンじゃないよね?何々??コンタクト外来ってみんなこんな感じ?やばない?
普通の眼科だとしてですよ。普通の!普通の眼科とするならですよ?
これはもはや…
この人俺のことちょっと好きなんちゃうやろうか…
そんな馬鹿げた妄想が頭を一瞬よぎっては、いやいやそんな訳ないやん!と心の中で一人ノリツッコミを繰り返しては、でも…というループにハマる自分。
はいそうですよ。自意識過剰が歩いてるような人間ですよ。
でもそんな事は分かってます。この妄想が無い事も分かってます。でも、無い話じゃないやん!無い話じゃなくない!?2%ぐらいは可能性あっても良くない!?
まぁ無いでしょうけど。
“でも…"
と思ってしまう僕の心は、ある程度物事が見えたつもりでいました。
視力0.4ながらに。
そして、最後は自分でのコンタクトつけ外し。
あぁ〜この時間ももう終わりかぁ
という少しセンチメンタルな気持ちが裏目に出たのか、思いの外時間がかかりました。
悪戦苦闘の末、何とか自分でコンタクトの装着ができました。
『できました!入りました!』
と嬉々として報告すると
『わー!良くできましたね!どうですか?良く見えますか??』
と笑顔で語りかける彼女。
ええ。良く見えますよ。
良く見えます。
あなたの左手の薬指に光るシルバーリングがね。
裸眼でも見えていたはずなのに!!コンタクトになってくっきりはっきり周りの物が良く見えてしまった結果、真っ先に目につきましたよ!!
そして名札!
名札や!!!
さっき眼球診てくれた男の先生と一緒!!!
夫婦!!!?
まさかの夫婦!!!!?
俺の気持ちっ!!!!!!
視力が良くなり、見えた物事。それは、淡い期待が幻想だったということ。そして、自分のどうしようもない自意識過剰っぷり。
冒頭に語った、物事の本質を見たいが為に意を決して手に入れたコンタクトレンズ。そのレンズを通して見る事ができた物事の本質とは、まさに自分の愚かさでした。
まさかの事実に傷つき、自分のアホさに傷つき、無駄に二重に傷つくことになってしまった。
こんな事になるなら、何も知らずに過ごしていたかった。過去に戻れるなら、物事の本質がどうこう!とか言ってる自分を諌めてあげたい。
要領の良い子供にも『それでええで。そのまま良いとこ伸ばしていき』って言ってあげたい。
大丈夫。犬と猿と雉はきびだんごに釣られただけやから。一族の掟とか定めとかある訳ないから。
そう。
そうですよ。
そうなんですよ!
想像力やインスピレーションというのは、あまり現実を知りすぎてしまうと湧いてこないものなのではないでしょうか。
少なくとも僕は今回の件からそう感じました。
だから今、このブログを裸眼で書いています。
まぁ色々と今回の件で辛い思いをしましたけど、コンタクトレンズを通して哲学を学んだと、良い風に、そして相変わらず自意識過剰に考えておきます。何が哲学やねんという批判は受け付けません。てゆうか俺のコンタクトガラスちゃうし。シリコンやし。
久々の更新がこんなんですけど、またちゃんと書いていきますので見捨てないで下さい。
近々メガネ買いにいこ。
以上、パクシンでした。