あの時の高校の音楽室からTVのコマーシャルへ。〜「犬、逃げた。」という曲〜
現在、TVコマーシャルでも流れ始め、本日、12/2に再録音源もリリースされました。
まさかこの曲がここまでになるとは…!
この曲の作曲者は僕なのですが、この曲には、実は色々なエピソードと歴史があります。この機会に振り返ってみたいと思います。
僕がピアノを始めたのは4歳のとき。
そこから色々とあって、ピアノを習うのを辞めたりしつつも、細々と続けていました。小曽根真さんや松永貴志氏を育てた、関西のビッグバンド「アロージャズオーケストラ」の前リーダー、北野タダオ氏に習った時期もありましたが、それも遠い昔。
中高と陸上部に所属していたのですが、めっきりピアノを弾く機会が少なくなった高校生のときには、昼休みに音楽室にこもってピアノを弾いていました。
特にレッスンもなく、誰にしばられることもない、自分の好きな曲を好きなようにデタラメに弾く時間が心地よくて、昼休みの音楽室での時間は自分にとって特別なものでした。
当時すでにジャズという音楽に興味を持っていましたが、理論やアドリブのことなんてあまり分かってないながらも、ポロポロと色々弾いてはいました。独学と言えば聞こえは良いですが、”弾く"というより”遊ぶ”という言葉の方が当てはまっていた気がします。
その中で、なんとなく「自分で曲を作る」ということに興味を持ち始め、作曲の真似事のようなことをするようになりました。
もちろん、当時の自分は「作曲をしてる!」と思っていましたが、今考えてみると、すごく短いワンフレーズだけとか、曲として支離滅裂で体を成していないものが多く、それを譜面にも残さず、録音することもせず、指と頭で覚えるだけという感じです。よくいる軽音楽部の人や高校生のギター少年の方がよっぽどちゃんとしてたんじゃないかな。
それでもその中には、その後何年も温められたアイデアが沢山ありました。
その中の一つが、この「犬、逃げた。」です。
今の完成形とは程遠いものですが、サビのメロディーや頭の中にあった全体像はすでにこの時にできていました。ただ、それをしっかりと作り上げ、その上で表現する実力がまだなかったんです。
当時、同級生の同じくボーカルをやっている女の子とユニットを組んで文化祭に出たりもしましたが、当時はまだオリジナルをやるには至らず、カバーばかりやっていました。
そして、大学生になります。
大学生になった僕は、、体育会系から文化系へのジョブチェンジを希望し、中高やっていた陸上を続けることを選ばず、軽音楽部に入部しました。
軽音楽部では人生で初めて「バンド」というものを経験し、先輩たちに揉まれつつ色々なことを教えてもらいました。だいたいの軽音楽部もそうだと思うのですが、うちもコピーバンドがメインの部で、僕も様々なバンドやユニットをコピーして演奏していたのですが、そのうちにある感情が湧いてきます。
"自分のバンドを組んで、オリジナル曲を作り、学外でライブをしたい!"
軽音楽部内ではなく、外で活動することを「外バン」と言うんですが、高校生の時に一緒にやっていたボーカルの女の子や、今度一緒にライブをする松田礼央などをメンバーに引き込み、僕は念願の「外バン」を結成しました。
そのバンドでオリジナル曲をするべく、僕は初めてとなるバンドでの楽曲制作をします。
そこで生きてきたのが、あの高校生の時に音楽室でピアノを弾きながら作っていた様々な曲たち。
"あの当時まだ支離滅裂だった曲、アイデアを今の自分ならカタチにすることができる"
そう思って、自分のバンドでのサウンドを目指し、どんどんと曲にしていきました。その中に「犬、逃げた。」も当然入っています。
当時はそんなタイトルじゃなくて、今ではその時どんな名前だったのか思い出せないけど、自分のバンドにとって大切な曲の一つでした。そして
『これから、もっともっと曲を作ってどんどん活動して行くぞ!』
と思った矢先に、このバンドは解散してしまいます。もうこれは、音楽活動している人にとってはあるあるですね。綺麗に出鼻をくじかれた僕は、その後、再びバンドを作ることもせず、軽音楽部で活動したり、誰かのサポートで外でライブをしたりという細々とした活動をしていました。別に音楽で食べて行こうなんて微塵も思っていなかった当時の僕は、将来のために資格の勉強とか始めだしたぐらいです。
そんな中、ひょんな出会いときっかけから、あるバンドのメンバーにならないか?という誘いが来ます。
そう、それがカルメラでした。
初めてのスタジオでリーダーのゴウシくんに気に入ってもらい、加入を打診されましたが、ソイルやスカパラといったインストバンドにハマっていた自分にとっては、このバンドの編成に凄く興味があり、何より、出鼻をくじかれて出来ず終いだった「外バン」をやっぱりやってみたいという思い、そして、愉快なお兄さん達がいるこのバンドは何だか楽しそうだ!という理由で、カルメラのメンバーとして活動していくことを決めました。
そして、加入してはじめの方のスタジオでゴウシくんからこんなことを言われました。
『もし曲を作れるならどんどん作って欲しい』
待ってました。あるんです!僕、もう曲いっぱい作ってるんです!そして、その曲たちは報われずにいるんです!!
僕は
『何曲かあるので、もしできるならこのバンドでやりたいです』
と言って、その場でメンバーの皆に、自分の曲をピアノで弾いて聴いてもらいました。
それを聞いたゴウシくんを始めメンバーの皆はすごく気に入ってくれ、採用となり、カルメラとしてのアレンジ作業をして、晴れてカルメラのレギュラーセットリスト入りとなりました。
「あの夏のエーゲ」や「ホテルジャズ」などがその曲です。
あれあれ?「犬、逃げた。」がない?
そうなんです。もちろん、この曲もプレゼンはしたのですが、何と、当時のメンバーでこの曲を再現することはちょっと難しいとなり、一旦お蔵入りになったのです。
僕も深くは考えず、まぁこの曲はまたどこかでできれば良いかぐらいの感覚で終わっていました。
そこから少し時が経ち、カルメラのライブの中で『リズム隊だけで演奏するブロックを作ろう』という話が出ます。しかし何の曲をしようか…議論になるなかで、多分ゴウシくんが
『あの曲は?』
と言いました。そう、一度お蔵入りになった「犬、逃げた。」です。
ここでようやくこの曲が採用となり、リズム隊バージョンでのセットリスト入りを果たすことになりました。
当時は壮大なイントロというか、静かなブロックと今のアレンジのような激しいブロックの二段構えになっていたこの曲。尺も長く、タイトルは『Escape』でした。
時々沸き起こる
『この曲長ない?』
という疑問。
なんとなく皆がこの曲にしっくりいっていない中、カルメラが大きな変革期を迎えることになりました。
それは、メンバーチェンジ。それと共に、このバンドでしっかりと将来を見据えて勝負をしていく!という決断でした。
旧メンバーの脱退とともに加入してきたSax.つーじーやDr.いがっちょさんという新メンバーによって、カルメラのサウンドは生まれ変わりました。表現したかったものが実現できる体制。バンドにハッキリとビジョンができ、サウンドの核が固まりました。
そこからのカルメラは新体制のもと、現行の楽曲や新曲など、バシバシとアレンジを固めていきます。
そんな中、ゴウシくんが
『今のメンバーだったら、あの曲ホーンも入れてめっちゃカッコよくできるかも』
と言いました。リズム隊だけでは何だかしっくりいってなかったあの曲。始めにバンドで再現しようとしたけどできなかった曲。その当時は「Escape」というタイトルだった曲。
その曲に、僕たちは新しい命を吹き込むように、リアレンジを施しました。
どんどんとアイデアが出て、まるでこのカタチになることが前から決まっていたようにアレンジが固まっていったのを覚えています。
そして、遂に現行アレンジが完成!
ライブではたちまちキラーチューンとなり、カルメラの代名詞的な曲にもなり、レコーディングを経てカルメラの4thアルバム「千日前HIGH COLORS」に収録されました。
まさに感慨深いとはこのことです。
それが2012年のこと。
それで終わりだと思っていました。というか、次があるとは思っていなかった。
その後、僕たちはメジャーデビューや上京などを経験し、色々なご縁と繋がれました。そして4thアルバムのリリースから3年後の今年
それに併せて、新バージョンの録音をし、配信することになったんですが、配信開始の本日、なんとこの曲が
iTunesジャズチャートの1位を飾っています!!
何というか、言葉に表せないぐらい感激です。
あの日、高校生の自分が音楽室で思い浮かんだメロディー。当時はこうなることなんて思いもしなかった。何度も日の目を見ずに終わってしまう場面があったのに、まさかここまで来るなんて…
そんなことをCINRAさんも見てくれていたみたいです。
思い返せば色んなドラマがあって、色んな人の力があって、この曲はここまで来れました。
作曲者のクレジットは僕になっていますが、今のこの曲はカルメラメンバー全員で作った曲です。
色んな人に感謝してもしきれません。
そして、この曲がこれからさらに何をもたらしてくれるのか。ゾクゾクが止まりません。
みなさん、良かったらこの色んなドラマがある曲を一度聴いてみてください。
そして、もちろん、カルメラはこの曲だけではないです。自分で言うのは何ですが、良い曲がもっともっとあります。
これからもそんな曲を届けれるよう、頑張っていきます。
長くなりましたが、ここまで読んでくれた皆さん、ありがとうございました。これからもゾクゾクできるような曲をお届けしますのでよろしくお願いします!
以上、パクシンでした。