ゴッドファーザーと重ね合わせるルーツの話
一番好きな映画は何ですか?という質問をされると困る。この質問は対象が本や音楽、アーティストや芸能人に入れ替わってされる ことだけど、何が一番なんて決めることは難しい。別に、もっともっと特別なオンリーワンなんてこと言いたい訳じゃなくて、自分には確固として答えられる『これにめちゃくちゃハマって影響を受けたんです!俺の人生のバイブルです!!』みたいなものが無いんです。ただそれだけです。
自分の好きな映画を見返したくなることってあるじゃないですか。それで言うと僕は年に1回はゴッドファーザー3部作を見たくなる時期が来るんですよね。やっぱり不朽の名作だなぁと毎回感じるのです。内容だけじゃなく、全体の雰囲気や演技や、何と言っても音楽が良いってのが何度見ても飽きない理由かなと思うんですけど、世のご婦人方の中には
『や〜ね。男の子は。マフィアの映画なんか見ちゃって。憧れかしら?』
的な事をチラッとだけでも思ってる人はいてるかもですね。別にマフィア特有の男世界とか、スリリングさに絶大な魅力を感じて見てる訳ではなくて、僕の場合は特にちょっと違ったところに魅力を感じていたりします。
本土である半島の文化とは少し違った済州島の文化。その文化の中で育った祖父母と同じ境遇の人たちはたくさんいます。当然、その人たちの結束は強く、何よりも血の繋がりを大事にします。一族の長である祖父を皆が尊敬し、一族皆で助け合い、日本の文化に溶け込みながら、多くはいわば韓国系日本人として生きています。
コルレオーネファミリーというマフィアの一家の話でもあるゴッドファーザー。
イタリア半島から離れたところにあるシチリア島という島で生まれた初代のドンがアメリカに渡り、子供達はイタリア系アメリカ人として育ちながらも、独自の文化を育みファミリーを形成しているこの映画は、見ていると自分や自分のルーツに呼応するところが沢山ある気がして、人よりも魅入ってしまうのだと思います。
まぁ僕の世代にとっては他の日本人と違う所なんかほぼ無いぐらい、もう”日本人”としてのスピリットが根付いていますけど、他国の物語ながらも自分のルーツを考えさせる映画なんですね。
ある時、親父が『ゴッドファーザーはようできてる。わしらと似たようなとこいっぱいあるやろう。』と言ってて、当時まだ少年だった僕は完全に頭がハテナだったんですが、今になると、なるほどなと感じる訳です。
その後に
『わしもドンやな』
と言ってた意味は今でもちょっと分からないですけど。
ゴッドファーザーの3部作ではシチリアからアメリカに渡りファミリーを築いた初代のドンから、イタリア系アメリカ人として育った息子にドンの座が引き継がれ、その新しいドンが主人公として進んで行く物語になっているんですが、親父はその主人公に自分を重ね合わせたんでしょうね。
まっっっっっったく違うけど。
ちなみに主人公役はアル・パチーノなんですよね。
親父よ。どこにこの要素あんねんと。髪の毛生やして出直して来いと言いたいですよ息子は。
結婚を4回も経験した親父にとっては、じいちゃんの車壊して半殺しにされかけて教会に逃げ込んだだけじゃない、それなりの人生譚があるみたいですけど、変わらず家族を愛する気まぐれな人のままじじいになってくれれば良いなと思います。
そもそもそこに憧れ持っても俺らごく一般の普通の家庭ですやん。
放蕩息子はドンにはなれんぜ。
と言う言葉を、さらにその放蕩息子から送りたいと思います。
とにかく、自分の家族から愛され、尊敬され、親族友達関係なく周りに囲まれて楽しく生きていけたら良いな。そんな人たちを守って支えていける立派な人間になれれば良いなと思わせる。特に3のラストを見たらより一層そう思う。
僕にとってはそんな映画です。
それと同時に
もうDVDボックス買おうかな。でもきょうびDVDやと画質あれやし、ブルーレイにしようかな。でもブルーレイ観れるやつ持ってないしこれをきっかけに…いや、それは何か違うやん。別に必要ないと思ってるし。でもな〜
という副作用に悩まされている日々です。
好きな映画の1位に挙げてもいいかもしれないけど、何だかありふれてる感がありすぎて、世間体を気にする小心者と自己顕示欲の塊という醜い性格を併せ持つ僕としてはまだ一歩決め手にかける気がしてるので保留とします。
あぁ…
素直になりたい。
以上、パクシンでした。
頑固者のマスターと俺
いつもよく行く喫茶店のマスターは絵に描いたような頑固者だ。
本当に頑固者かどうかは分からないけど、ものすごく頑固者っぽく見える。いつも寡黙で、コーヒーサイフォンを睨みつけるように見ながら、真剣にホットコーヒーを淹れているその様はまさに職人の姿そのもの。常にカウンターの中にいて、新聞を読んでいるかコーヒーを淹れるかだけど、よく見る同年代の常連の集団が来た時は一緒にテーブルを囲んで談笑している。それでも別に饒舌になる訳でもなく、相槌を打つくらいで、僕がまともに発するマスターの声を聞けるのは、たまに言う『いらっしゃいませ』と『ありがとうございました』ぐらいのものです。
今までに一度、マスターが積極的に話しているのを聞いたことあるけど、それはこのブログで書いた、イタズラなkissについて熱く語っている時ぐらいかもしれない。
僕はこのお店に結構な頻度で通っているし、間違いなく常連の一人だと思っている。店にはマスターの奥さんであろうママもいてる。笑顔で接客してくれるそのママには『いつもありがとうございます』と言われる。それって常連やん。
そんなママとは正反対の雰囲気のマスターには、一度も常連と認める発言をされたことがない。
別に求めている訳ではないし、必要なことでもない。マスターが憮然としているからもう通わないって事はないし、これはこれで距離感が心地良い。
もしこれが大阪の喫茶店だったら…
『兄ちゃん今日も来たんか!』
から始まり、ゆっくりコーヒー飲んで落ち着きたい俺の心境をよそ目に、マシンガントークが繰り広げられるっていうパターンはよくあると思う。仕事何してんの?とか、彼女おるんか?ていう質問は序ノ口で、聞いてもない持病の話や家庭内の問題の話を聞かされ、果ては
『わしもう死ぬから』
と、若者が反応に困るシニアジョークランキング堂々の1位のこの言葉を聞かされる。
どこもそうって訳じゃないけど、大阪の喫茶店っていうシチュエーション考えるとこの会話のパターンはかなり予想がつく。
でもその空気感、実は嫌いじゃない。
いつも来てるこの喫茶店の距離感も心地良いけど、そういうフランクな感じも悪くない。行き過ぎは嫌やけど。でも、この店のマスターにそんな事を求めているわけではないです。ええねん。この距離感がええねん。もしかしたら、頑固者のマスターが『若いお前なんかうちの常連とは認めてないぞ』と思っているかもしれないけど、それでええねん。その少し張り詰めた緊張感もええねん。それを優しいママがカバーしてるから尚更それでええねん。それでええねん。それでえーえーえーええねん。
そんな事を考えながら、今日もいつものようにこの店に来ました。
いつもホットを頼むけど、今日は気分を変えてアイスコーヒーを注文した。考えてみたら今シーズン初めてのアイスコーヒーかも。そう思っていると、マスターが一言
『いつもブラックだけど、アイスコーヒーの時はシロップとミルクどうしますか?』
と聞いてきた。
!!!!
マ、マスター…!
何て憎い事を…こ、これがあれか…粋ってやつか!
この発言は、紛れもなくマスターが俺のことをちゃんと認識している上で、俺のいつもの注文まで分かってくれている発言。いつもは寡黙で会話なんてほとんどしたことないけど、注文のタイミングでそれとなくこういう発言をしてくれる、そういう所にグッと来た。別にドヤ顔でもなけりゃ、笑顔でもない、いつもの憮然とした顔と声。普段と何の変わりもない様子でそう聞くマスターに、僕も驚きとちょっと嬉しい感情を隠して、涼しげな表情で『ブラックでお願いします』と返事をしました。
運ばれて来たアイスコーヒーを飲みながら、心の中で
"うわ…にがっ!完全にこれシロップちょっとだけでも入れた方が良いタイプのやつや…"
と思いながらも、あのやりとりの後に『やっぱシロップ下さい』なんか言えるはずもないので、涼しげな表情で激苦アイスコーヒーを飲みました。
ええねん。
今日は滅多にないマスターのデレが出たし、気分が良いからええねん。
そう思いながら本を読み、自分の時間に浸っていたんですけど、何だか向こうのテーブルが騒がしい。おいおい、何やねん。ここ居酒屋ちゃうぞ…勘弁しろよ、この静かな喫茶店で…と思いながら、そのテーブルの方に目をやると
マスターめっちゃ喋ってるやん…
常連っぽい人たちに混ざってマスターめっちゃ喋ってるやん…
えぇ…俺のあの小さな喜びが極小のシャー芯のような出来事に感じるぐらい、マスターめっちゃ喋ってる…
めっちゃ笑ってる…
まぁ…多分、機嫌良かったんやな。
あのマスターがそれぐらい機嫌が良いってことは、今日の出来事はやっぱり凄く貴重な事には違い無いんだなと思うことにしました。
でも、もしこの先、マスターが好々爺になり、若者が反応に困るシニアジョークランキング堂々1位のあの言葉を浴びせてくるようなことがあるなら、その時は
『残りの人生、悔いのないように生きて下さいね』
ってクソ真面目に憮然とした表情で返したろうと思ってます。
何だか最近、東京に馴染めて来た気がする。以上、パクシンでした。
時を超えて共鳴した遺伝子
先日、大阪の味園ユニバースで開催された『キャバレーなう!』というイベントに出演しました。
昭和のキャバレーが一日限りの復活というコンセプトで、昔を懐かしんで来場されているお父さん方がちらほらおられたのが印象的でした。
実家に帰りその話をしていると、うちの親父も『若いときはようユニバース行ったわ』と言ってました。
絵に描いたような放蕩息子だった親父。そりゃ、当時全盛期だったユニバースでも遊んでいたに違いないだろうということは容易に想像がつくので、特に驚きもせず生返事をする僕。
『当時のあの姉ちゃんらも、もう70とかなってるんやなぁ…』
急にセンチメンタルな声色でポツリとそう呟き、日本酒をぐいっと飲む親父。
そういえば、ユニバースの楽屋には当時の写真が色々と貼られていました。数々あるモノクロ写真には、その盛況っぷりや楽しそうな雰囲気など、当時の様子が写し出されていました。
そして、当時のホステスさんの写真も何枚かモノクロであったんですけど、それを見て
“こ…これが当時のナウでヤングか…!!"
親父のセンチメンタルな呟きを聞いた後に、先日の写真を見た時こう思ったことを思い出して、やっぱり人に歴史ってあるんやなぁと改めて痛感しました。
間違いなく、親父の青春の1ページがその場にはあったんでしょう。
『ひこちゃん(親父のあだ名)が赤いチャンチャンコ着てミナミのディスコで踊ってた』
こんな噂が近所に立ち、遊び歩いてる事がじいちゃんにバレて半殺しにされるというエピソードを持つ親父にとっては、ユニバースも一つの思い出深い遊び場だったんでしょうね。
そこで甘酸っぱい思い出があったのかもしれないし、親父のことだからナンパに精を出していたかもしれない。もしかしたら、赤いチャンチャンコ着て踊ってたのはこのユニバースかもしれないですね。
赤いチャンチャンコって…
ベストのことやろ…
そう思うと、ベストがかつてチョッキと言われていたそのはるか昔、呼ぶ人にとってはチャンチャンコって言われてた時代だとすると、やっぱりかなり昔の話なんですね。親父は30年以上、下手したら40年近く前やって言ってたし。
どうあれ、親父が今の俺の世代ぐらいの時に、彼にとってよく行く遊び場だったユニバース。おそらく、今でも思い出せるような色々な思い出があるんでしょう。
話は少し離れますが、僕は山下達郎さんが大好きです。
産まれて初めて歌えるようになった曲は、クリスマス・イブです。一円玉の旅ガラスと競うけど。
これは間違いなく父親からの影響です。
親父は山下達郎が大好きで、今でも時折口ずさんだりしています。
聞けば当時から大好きらしく
『ようディスコで踊ったんや』
と言っていました。
話は戻って、先日のキャバレーなう!での出来事。
イベントが終了して徐々に客出しが行われているとき、最後のDJがBGM的に色々な当時の懐メロをたくさんかけていました。
”あぁ良い曲だなぁ”
と思いながら楽器を片付けていたんですけど、そこでいきなり、山下達郎のFUNKY FLUSHIN’という曲が流れました。
ギターのリフから始まるファンキーでダンサブルなナンバー。
小さい時から大好きでたまらない曲!
思わずテンションが上がって、歌詞を口ずさみながらステップを踏んでいました。
ん…待てよ…
今になって考えてみると、うちの親父も当時ここで山下達郎を聞きながら踊っていたのかなぁ。
そう考えると、何だかちょっと不思議な気分になって。
あの片付けのとき、僕がこの曲でステップを踏んだ時、何十年という時を超えて親子の時間が共有されたような、そんな気持ちに今なっています。
もちろん俺は赤いチャンチャンコも着てなければオネエちゃんと一緒にきゃっきゃしてた訳でもないけど。
可能性は低いとしても、本当に親父がここでそうしてたという事実が重要なんじゃなくて、今こうやって父親と息子の不思議な?繋がりを感じられるのが素敵な事だなぁと思えます。
大げさに言うと、遺伝子が震えたような感じかな。いや、何か上手く言えない。
でも何だか言葉で表現しにくいこの出来事をちゃんと記憶に止めようと思って、今日はこのブログを、もちろん山下達郎さんを聞きながら書いています。
やっぱり俺は親父の息子だ。
今度帰ってゆっくり話す機会があれば、なかなか自分の昔話をしない親父にこの話をして色々と聞いてみようか。色んな話が飛び出してきそうで楽しみです。
という訳で以上!パクシンでした!
脳の力が持つ無限の可能性を祖父から感じた話
いくつになっても勉強は必要。パクシンです。
最近、自分のルーツとして韓国語、そして英語の重要さ、それらを勉強する必要性が自分の中でどんどんと大きくなっていってます。
ちゃんと勉強をしよう。どっちも素養はあるはずだし、ちょっとずつで良いからきちんとしよう。
そう思ってはいるんですが、二言語を同時にできるのか?という疑問もあります。頭の切り替えがちゃんとできるんだろうか?
その疑問に答えてくれる人が身近にいました。
その人物は何を隠そう、うちの祖父です。
じいちゃんは韓国済州島で産まれ育ち、戦争のごたごたで日本にやってきました。
その後、大阪に根を張って今まで暮らしてきているんですが、じいちゃんの日本語のイントネーションは東北弁に近いです。
どこでどうなってその東北訛りになるのか…。ちなみにばあちゃんは綺麗な第二標準語(関西弁)で話します。
そういえば松本清張の代表作『砂の器』では、殺害された被害者が東北弁だったことから、主人公の刑事は東北に調査に行くものの手がかりがつかめず、調べてみると、東北訛りと同じような言葉が使われる地域が島根県にあり、その事実が事件解決の糸口になるっていう筋があったけど、うちのじいちゃんも同じように、方言が極所的に飛び火したんやろうか…
その疑問を実際にぶつけてみると、じいちゃんは『日本に来たとき、はじめは茨城に住んでたからなぁ』と東北訛りで言ってました。
え?茨城?関係なくない?
と思って調べると、茨城県でも東北に近いイントネーションのところはあるみたいですね。知らんかった。
どうあれ、その東北訛りっぽい日本語に加え、韓国訛り、発音がおかしい関西弁などがミックスされた彼の口から出てくる言葉に
え…?何言うてはるんですか…?
ってなる事もしばしば。しかし、特筆すべきは彼の言語使い分け能力です。
ばあちゃんと喧嘩している時など、じいちゃんもばあちゃんもお互いに韓国語で、なにやら興奮しながら喋ります。罵りあっているのか?不満をぶつけあっているのか?お互い凄い剣幕で会話が飛び交います。
じ『◯△×☆◯△×☆◯△×☆!!!!!!!!!!!』
ば『◯△×☆◯△×☆◯△×☆!!!!!!!!!!!』
と、まぁ何言ってるのかさっぱり分からないんですが、そんな会話にもちょいちょい日本語が挟まってくるのです。
じ『◯△×☆◯△×☆◯△×☆!!!!!!!!!!!』
ば『◯△×☆◯△×☆◯△×☆!!!!!!!!!!!』
じ『何言うてんねん』
ば『◯△×☆◯△×☆◯△×☆!!!!!!!!!!!』
みたいな感じで。
それを見て僕はこう思う訳です。
あっ…やっぱり突っ込みは関西弁なんや…
関西弁と言っても、発音は全然違いますけどね。上記はあくまでも一例であって、近くにいてるともっと言語の切り替えの瞬間を見ることができます。
東北弁っぽい訳わからん訛りの日本語に、ふと見せる変な訛りの関西弁、韓国語。この3言語をスイッチングしてるじいちゃん。そんなじいちゃんを見ていると、違う言語を同時に勉強しても、多分大丈夫なんだろうなぁと勇気付けられます。人間の脳ってうまいことできてるんだなと。
そんなじいちゃんは、僕が上京する時に
『東京もんになるからって言って、標準語になんなよ』
的な事を僕に言いました。
……
いや、じいちゃん!!
あなた全然関西弁喋れてないから!!
そう心の中で感じはしたけれども、そこは素直に『はい』とだけ返し、今も僕は大都会東京の中で第二標準語を母語としています。
そして、人間の脳の力が持つ無限の可能性をじいちゃんから学んだので、安心して韓国語と英語を同時に勉強していきたいと思います。
喋れる友達できたら早く習得できるかな〜。と思いながらも、まだまだインプットの時期かなと思って、しばらくは教材使いながらしこしこやります。
祖父は偉大なり。
以上、박신でした。
ガラスを通して見えた哲学
目を凝らしてみると、物事の奥深くまで見えることがある。パクシンです。
中途半端に要領が良かったりすると、物事を一目見ただけで『あ!これこういうことね〜。はいはい。』と、分かった気になってしまう事があると思います。でもそこには、複雑な外的要因が重なった末、微妙なバランスで成り立っている構図や、ドラマティックなバックグラウンドがあるかもしれません。
桃太郎がいました。
鬼退治に行くことにしました。
そんな桃太郎に、おばあさんがきびだんごを持たせました。
犬が現れました。
桃太郎は犬にきびだんごを与えました。
犬が仲間になりました。
猿が現れました
桃太郎は猿にもきびだんごを与えました。
猿も仲間になりました。
犬と猿が仲間になった一行が歩いていると、雉が現れました。
……
…
はは〜ん
はいはい。これはまた桃太郎さんがきびだんご与えて、雉も仲間になるパターンでファイナルアンサー。そして一人と二匹と一羽で力合わせて鬼退治してハッピーエンドでしょ?
はい終わり!この話読めたから終わり!お母さん!もう話最後まで分かったから次のお話にして!一寸法師とか!あっでもおじいさんおばあさんがファースト登場人物パターンも飽きたから別のにして!刺激的なやつ!耳なし芳一とか!
若干の誇張はあるものの、察しの良い子供ならこういう風に感じるかもしれない。パターンを予測して、一目見て全てが分かった気になる典型ですね。
しかし、一見ワンパターンに見えるこの構図も、複雑な背景があるかもしれない。
空腹でどうしようもなく、誰も助けてくれず、餓死にしそうなところにきびだんごを与えてくれた、心優しい桃太郎に恩義を感じて仲間になることに決めた犬。
なんとなく楽しそうだからついてくことにした猿。
一族の掟と予言により、きびだんごを与えし勇者の仲間になることを産まれた時から定められ、その勇者を探す旅をしていた雉。
どれも"きびだんご与える→仲間になる”のパターンだけど、それぞれにこういう背景があるかもしれないし、絵本や語り手によっては、そういう細かい背景の手がかりやギミックをどこかに散りばめて伝えられているかもしれない。
もちろん、桃太郎という昔話の大筋はどれも一緒だろうから、そこだけ分かっておけばその子の人生に何も支障がないので、時短という意味でも、予測される展開で満足するのは別に間違いじゃないと思う。
でも、僕は思いました。できることなら、細かいところにも目を凝らし、物事の本質まで知りたい。
チラっとだけしか見てないものを、分かった気でいてる自分はもう嫌だ。
だから…
コンタクトにしました
普段は裸眼、たまにメガネという形で生活していましたが、0.4,5ぐらいの視力では裸眼の生活に不便を感じることもあり、メガネをずっとつけるのもあまり好きじゃないので(失くす)、そろそろコンタクトデビューかなと。
という訳で行ってきました。コンタクト専門?の眼科へ。
新宿にある綺麗な診療所。スタッフの方々は皆さん、スラッとした美人揃い。
僕の担当は、その中でも目を引く、どこか可愛らしさのある方でした。目を引くといっても、0.4の視力。何事もぼやけて見えてしまっているので、そこに対する自信は少し弱いです。
早く本質を!本質を見極めたい!!
という、はやる気持ちを抑えながら、検査に移ります。
何てことない、視力や眼に関する会話でも、自然に弾んでしまう会話。
『この視力で普段はメガネかけてないんですか?』
『はい。裸眼で勝負してました。』
『クスクス。それは中々の戦いでしたね〜。(ニッコリ)』
うわぁぁぁぁ!!!
何やねんそれぇぇぇぇ!!!
と何だかキュンと来ながらも、自分の会話レベルの低さに赤面しておりました。
そして、コンタクトの種類を一緒に選び、付け外しの訓練へ。
『初めは私がつけますね』
といって、体をよせ、顔にふれ、僕を見つめるその人。
上を向いて下さい、目線を下に、などの指示に言われるがままに従い、コンタクトをつけたり外したり。
『痛くありませんか?大丈夫ですか?』
と事あるごとに気遣う彼女。質問に答える度に、クスクスと笑い、可愛らしいリアクションをしてくれる。
ふと気付くと、いくら仕事の一つのコンタクトつけ外しの訓練だからと言ったって、距離が凄く近い気がする。
"え…大丈夫?これ胸とか当たってない…?"
と心の中で心配になって、自分から距離をとってしまいそうになる。そんな僕に
『あっ逃げないでちゃんと顔こっちに向けて下さい!』
と優しく諌める彼女。
これ何やねん…
え?何これ何これ?ここ、あれっすよね?眼科っすよね?何かそういうとこじゃないよね?ひと昔前に流行った耳かき 屋の眼バージョンじゃないよね?何々??コンタクト外来ってみんなこんな感じ?やばない?
普通の眼科だとしてですよ。普通の!普通の眼科とするならですよ?
これはもはや…
この人俺のことちょっと好きなんちゃうやろうか…
そんな馬鹿げた妄想が頭を一瞬よぎっては、いやいやそんな訳ないやん!と心の中で一人ノリツッコミを繰り返しては、でも…というループにハマる自分。
はいそうですよ。自意識過剰が歩いてるような人間ですよ。
でもそんな事は分かってます。この妄想が無い事も分かってます。でも、無い話じゃないやん!無い話じゃなくない!?2%ぐらいは可能性あっても良くない!?
まぁ無いでしょうけど。
“でも…"
と思ってしまう僕の心は、ある程度物事が見えたつもりでいました。
視力0.4ながらに。
そして、最後は自分でのコンタクトつけ外し。
あぁ〜この時間ももう終わりかぁ
という少しセンチメンタルな気持ちが裏目に出たのか、思いの外時間がかかりました。
悪戦苦闘の末、何とか自分でコンタクトの装着ができました。
『できました!入りました!』
と嬉々として報告すると
『わー!良くできましたね!どうですか?良く見えますか??』
と笑顔で語りかける彼女。
ええ。良く見えますよ。
良く見えます。
あなたの左手の薬指に光るシルバーリングがね。
裸眼でも見えていたはずなのに!!コンタクトになってくっきりはっきり周りの物が良く見えてしまった結果、真っ先に目につきましたよ!!
そして名札!
名札や!!!
さっき眼球診てくれた男の先生と一緒!!!
夫婦!!!?
まさかの夫婦!!!!?
俺の気持ちっ!!!!!!
視力が良くなり、見えた物事。それは、淡い期待が幻想だったということ。そして、自分のどうしようもない自意識過剰っぷり。
冒頭に語った、物事の本質を見たいが為に意を決して手に入れたコンタクトレンズ。そのレンズを通して見る事ができた物事の本質とは、まさに自分の愚かさでした。
まさかの事実に傷つき、自分のアホさに傷つき、無駄に二重に傷つくことになってしまった。
こんな事になるなら、何も知らずに過ごしていたかった。過去に戻れるなら、物事の本質がどうこう!とか言ってる自分を諌めてあげたい。
要領の良い子供にも『それでええで。そのまま良いとこ伸ばしていき』って言ってあげたい。
大丈夫。犬と猿と雉はきびだんごに釣られただけやから。一族の掟とか定めとかある訳ないから。
そう。
そうですよ。
そうなんですよ!
想像力やインスピレーションというのは、あまり現実を知りすぎてしまうと湧いてこないものなのではないでしょうか。
少なくとも僕は今回の件からそう感じました。
だから今、このブログを裸眼で書いています。
まぁ色々と今回の件で辛い思いをしましたけど、コンタクトレンズを通して哲学を学んだと、良い風に、そして相変わらず自意識過剰に考えておきます。何が哲学やねんという批判は受け付けません。てゆうか俺のコンタクトガラスちゃうし。シリコンやし。
久々の更新がこんなんですけど、またちゃんと書いていきますので見捨てないで下さい。
近々メガネ買いにいこ。
以上、パクシンでした。
なんばHatchでの1日の全て
昨夜はなんばHatchでのワンマンライブでした。
まずは一言。その日関わってくれた方々、駆け付けてくれた方々、来れなくとも応援してくれていた方々、本当に皆さんありがとうございました。
目標に向けて駆け抜けて来た、昨日の一日を余すことなくお届けできればと思います。
自分の中での確認作業を繰り返しても繰り返しても終わることなく、なかなか寝付けなかった前日。それでも頑張って起きて、昨日は10時入り。
当日スタッフの中核を担ってくれた久保くんと山下くんと待ち合わせていざハッチ入り。舞台監督さんやPAさん達との挨拶もそこそこに、バタバタと確認作業とセッティングへ。
O.A.で出演したカルメラオーケストラのセッティングもメンバーで全て分担し、会場入りからすでにてんやわんやでした。
後輩を立たせてポジションを細かく確認したり。
あっそうそう。ドラマーのシンバルが全て新しくなっていたりもしました。オール小出シンバル!日本が誇るシンバルメーカー!
1時間かかったセッティング後にようやく楽屋へ。
と言っても、ここでも一息つく暇はなく、セットをしたり、新衣装のフィッティングをしたり、色んな確認をしたり、早弁したり笑
そうこうしている間に12時からサウンドチェックとリハーサルがスタート。
いくらスタジオや練習、ミーティングで何度シミュレーションしても、やっぱり本番の会場で当日のスタッフの人たちと一つのステージを作り上げるには、このリハーサルが一日の中で一番重要なポイントです。
リハーサルの流れも入念に計算して、当日は舞台監督さんの進行の下、ポイントを絞りながら不安要素を一つ一つ確認していきました。効率良くやっているつもりでも、全ての確認に費やした時間は約3時間。リハ終了時点で、この後の1日のこと思うとちょっと気が遠くなったけど、俺たちはやりたい事が多いから、これぐらいのボリュームは仕方がない!
しかし、この日の準備はまだまだこれから。
カルメラのリハーサル終了後は、休憩もそこそこにO.A.カルメラオーケストラのリハーサルへ。
100人以上の出演者で演奏する、このカルメラオーケストラ。
確認しないといけない事はいっぱいあるけど、ここは時間との勝負。駆け足で決め事をし、リハーサルへ。参加者の皆さんが凄くテキパキと誘導に従ってくれているのをみて、この人数で何かをやるっていう事を考えると、こんなにできた人たちいないなぁと感心しました。
お陰様で、押すかもしれないと予想していたカルメラオーケストラのリハーサルはスムーズに終了しました。
リハーサル後はみんなで記念撮影!
カルメラオーケストラの参加者は皆さん、プロの演奏者ではありません。多分、この空気が張り詰めているリハーサル独特の雰囲気の中、緊張している方も多かったと思います。しかし、そんな中でもバチッとリハーサルをこなしたこのメンバーが、この後沢山のお客さんを前にどんな演奏をするのかが凄く楽しみでした。
という事をまじまじと考えていると気付けば後少しで開場時間!急いで本番に向けての最終準備をしないと!
こういう時こそ落ち着きが肝心!
とか言えるやつ何やねん。どんだけできた人やねん。
というぐらい、バタバタしている楽屋。
しかし、朝からここまでちょっとエネルギーを使い過ぎたので、本番のために10分だけ横になりました。そしてシャワールームで最強に水を冷たくして冷水シャワー!
生き返った!!
これがかなり良かった!ちょっとの午睡と冷水シャワー、栄養補給で体力は振り出しに戻った!はず!
ただ、もうスタートまで30分切ってる…笑
急いで衣装に着替えてセットをしてもらい、気合いを入れてステージへ!
既に位置に付いているカルメラオーケストラの皆さんと幕裏で最後の確認と気合いの声出しをし、張り詰める空気間の中、いよいよ始まる。
フロアの客電が落ちたのか、幕の向こうからは歓声が上がり、直後にSEが流れ出す。
その音を合図にだんだんと開いていくステージ幕。
そこから目についた景色は、早い時間にも関わらず、人で埋め尽くされたフロア!
耳に入ってくるのは、大勢の歓声と拍手!
そしてカウントが始まり…
気付けば参加者皆が楽しそうに、でも真剣に演奏をしていました。
凄いなぁ。まさに物怖じしてない演奏。
一人一人では無理な事でも、100人いたら怖くない。人の力って凄いと思わせる、100人の力がかけ合わさった演奏でした。上手い下手とかじゃないねん。
そこにいた一人一人が優勝。
ソロをやった人もやらなかった人もチャンピオン。
3曲だけだったけど、そんな事を思わせてくれるハッピーな演奏でした。
それは客席にも伝わっていたはずだと、写真を見るとそう思えます!
カルメラメンバーも勉強になった。
そんなO.A.のステージを終え、急いで大転換をし、メンバーは本編へ向けての準備に。
皆、今までの衣装から、この日新しくなる衣装に着替えをしました。
そう、この日から衣装が新しくなったのです!
新しい衣装を作ってくれたのは、もはやカルメラの衣装スタッフと言っても過言ではないぐらい、いつもお世話になってるぬこさん。
今回も無理な注文にも関わらず、素晴らしいものを作ってくれました。
そんな衣装に身を包み、いよいよカルメラのステージへ!
最後の気合いを注入し、気持ちを落ち着かせて、いよいよ本編開演。
オープニングムービーが流れ、BGMが続く中でカルメラが登場。
場内が湧く中、演奏スタート。
いつもの自分のポジションから見える、他のメンバーがいつもより大きな存在に思える豪華なステージ。
そして、いつもの自分のポジションから見える客席の光景。
後ろまで人が埋め尽くされた満員のフロア!
これを見る為に頑張ってきた。
でもショーはまだまだこれからなので、そんな高揚感に流されそうな気持ちを締め直し、冷静になるようにつとめました。
8周年のイベントということで、内容はこの8年間を凝縮し、これから先の可能性を見せる、今までとこれからが詰まったものを準備しました。
懐かしい曲からこの日のスペシャルメドレー、メンバー結成秘話の寸劇、新曲、いつものトーク。
今までカルメラワンマンに乱入してきたアメリカ人トランペッターも久々に登場。
いくつものアイデアを出し、何度も吟味をして作っていき、全ての流れを頭に入れるだけで時間が掛かったこの日のステージ。時間をかけて作った演出の一つ一つに狙い通りの反応が来た事が本当に嬉しかった。
大舞台は照明がすげーぜ!
気付けば本編はあっと言う間に終わっていました。
そして、アンコールへ突入し、この日の為に作った新曲を披露しました。
色々あれど過去に歩んで来た道は間違いじゃないから今の自分は大丈夫で、このまま信じて進めば未来も明るい。
そんなメッセージを込めて作ったこの曲。自分たちにも当てはまる事かもしれないけど、そこにいる1人1人の人たちも絶対そうで、そう感じて欲しいという想いがあります。
僕たちが作った応援歌です。
初めてやったのにも関わらず、戸惑いなくこの曲を受け入れてくれていたお客さんたちはやっぱり最高でした!
その後は大阪らしく、三ツ寺慕情にて明るく盛り上がりきって締め!
以上でこの日のプログラムは全て終了。
本当にあっという間だった。
カルメラ本編だけで2時間演奏しているので、僕たちがそう感じているだけかもしれないけど、本当に一瞬に感じた。
舞台を去っても鳴り止まない拍手。沸き起こるダブルアンコール。
そのダブルアンコールには応えれなかったけど、また楽しんで貰える新しいモノを準備しておくので、その時までワクワクをとっておいてくれると嬉しいです。
この一日を迎えるまでに、メンバーとスタッフで準備に準備を重ね、アイデアを出し続け、吟味し続け、不安要素をできるだけ潰してきました。
総力戦で戦ったからこそ、叶えられたステージ。見ることのできたあの景色。
そこに立てた事、本当に色々な人に感謝です。
もちろん、反省点もいっぱいあるし、改善しないといけないところが何個もある。
ここがゴールじゃなくて、目標はまだまだまだまだまだまだ先で、その為にやらないといけない事、乗り越えないといけない壁はたくさんある。
でも、あのステージに立てた喜び、皆んなが楽しんでくれていた景色を見れた喜び、何より、今までやってきた事がちゃんと未来に繋がってると感じる事ができた喜びで、僕はこれからも頑張っていけます。そんな自信を貰えた日でした。
本当にありがとう。
ありがとう! pic.twitter.com/sM6M9iXSbX
— パクシン@カルメラ (@pakshin) March 28, 2015
そしてこんな社長も今まで見たことなかったな〜笑
カルメラなんばハッチが1000以上のお客様に見守られて大成功で終了しました。先の目標を見失う程に誉めちぎるのは違うけど、結果論ではなく狙った事がちゃんとハマった時は素直に成功で良い。写真はメンバーお辞儀中にはしゃぐ俺!^_^ pic.twitter.com/MRgy7N62oU
— Ichikawa(T_T) (@Flagship_A) March 29, 2015
何だかすごく良い写真!!
さてさて、ホッとしてる暇もなく、4/3は東京での自主イベント!
これも新しい試みです!そして間違いなく素晴らしいイベントになります。
4/3は渋谷duoへ。新しい衣装、そして新しい心意気のカルメラが皆さんを楽しませます!
まとまりない文章で長くなりましたが、この日の事を忘れない為にできるだけ思いつくことを書きました。お付き合い頂いて感謝です。
以上、パクシンでした。
誕生日になると思い出すこと
年を一つ重ねて27歳になりました。
今日は生きとし生けるもの全てに愛おしい眼差しを送ってしまおうかってぐらい、健康で無事に誕生日を迎えられた事をありがたく思ってます。
後輩から下げた感じで入ってこられて、最終的に自信持ってくださいって言われても、それすらも穏やかな眼差しで見れますね。俺は年中自信持って先輩面しとるわい!
実は、年々誕生日ってものに自分ではそんなに重要性を感じなくなってるんですよね…忘れかけるし、特に普段と違う一日を送る訳でもないし。でも、沢山の人から『おめでとう』という言葉を頂けることによって、1年に1度のスペシャルな日という事を改めて感じさせられます。
僕の誕生日は他の印象深い出来事と重なる事が多いんですけど、中でも25歳の誕生日の事は忘れる事はないかなぁと。
2年前のこの日。本当にまさにその日に上京してきました。
25日に大阪にあったカルメラスタジオを引き払って、車で東京へ向かい、日付けが変わった誕生日の深夜に東京へ到着。何もない新居で寝袋で寝ました。
朝起きると凄くポカポカしていて、ちょっと早いけど桜が良い感じに咲いていた。
レンタカーを返しに行って、引っ越し作業をした後事務所に行き、黙々と働く社長を横目に黙々とチャリを組み立てた。
その後は春の陽気のなか、東京で初めて手に入れたアシであてもなくサイクリングをし、行き着いたのが桜が綺麗な目黒川。
『桜綺麗からお花見でもしましょうよ〜』
上京したばかりで友達が全然いないから、バンドメンバーにそんな連絡をしてみた。
下手したら誰も来ないなと思っていながらも、ちょっと期待しながら待ってたら、何と!その時大阪にいたリーダー以外全員来てくれた。
そして、知り合いのお店で飲み会をした。バーステーケーキのサプライズもあった。
凄く覚えてる。
あの日の事は特に、凄く覚えてる。
産まれ育った大阪という街を昨日離れた日。
新しい街、新しい環境、色んな事が新しくなった日。
自分はこれからどうなっていくんだろう。
大丈夫なんだろうか?慣れてやっていけるんだろうか。
この世界でちゃんと生きていけるんだろうか。
そんな不安な気持ちを、春の陽気と桜の景色が少し和らげてくれたような気がした、今日と同じような快晴の日でした。
目に見える物も自分の感情も、全てが凄くふわふわしてて、夢を見てるような1日だった。
そんな、上京初日に迎えた25歳の誕生日に、珍しく母親から長文のメッセージが来ました。
あの日から数えて僕は2歳になりました。
2歳児らしく、出来ることはまだまだ少なくて、やらなければならない事もいっぱいあります。
既に挫折は数え切れないほどしてます。けど、ちゃんと楽しんで前を向いて生きています。
悔しい事も腹が立つ事も悲しい事もほんとにいっぱいあるけど、全部がちゃんと明日の為になっています。
まだまだ道半ばで、まだまだ夢は叶わないけど、全部ひっくるめて、僕はいま凄く幸せです。
未来の事にワクワクして寝つけないぐらい、毎日が楽しいです。
来年の誕生日がもう今から楽しみで寝れないぐらい。
普段こんなこと絶対しないし、絶対言わない母親がこのメールを送ってる姿を想像するだけで、僕の中ではネタとして笑えるんですけど、だからこそ、そんな母親がこのメッセージをくれた事に、ただの文章以上のものを感じるんです。
こうやって送り出されたからにはちゃんと成長しないと。
両親や家族だけじゃなく、送り出してくれた大阪の人たち、受け入れてくれた東京の人たち、応援してくれる全国の人たち、一人一人にはとても伝えきれないありがとうを、自分の成長で伝えられると信じて頑張ります。
話は代わって、先ほど、バンドメンバーにプレゼントを頂きました。
毎年それぞれの誕生日に他のメンバー全員からの贈り物をする習慣があるんですけど、今年もハブられることなく、ちゃんとありました。
エジプト文明が大好きな僕に、メンバーのみんなからツタンカーメン風なやつとアマゾンギフトカードをプレゼントしてもらいました!プレミアムだぜ!家帰るん楽しみ過ぎる! pic.twitter.com/aLAE7SIUr6
— パクシン@カルメラ (@pakshin) 2015, 3月 26
やっぱりこういうの嬉しいな〜。皆さんありがとうございます。
そういえばこのバンドに加入した当初
"誕生日にスタジオが被ったら休んで良い"
というルールが存在したんですよね。このルールまだ適用できるかな〜。
後でみんなに聞いてみよう。
あの言葉で聞いてみよう。
使いたかったけど、今まで使う機会に恵まれなかったこの言葉。
恐らく、この先も使う機会が訪れないこの言葉。
一社会人として、だいたいの人たちが責任と義務を背負う上で申し訳なさそうに使うこの言葉。
そう。この言葉。
『有給使えますか?』
でも無理やろうな〜。社風的に。
という事で、今日もちゃんと全力以上の心意気でお仕事したいと思います。
改めて、SNSやメッセージ、電話や直接言葉でなどなど、たくさんのお祝いの言葉ありがとうございます。
僕的には明後日、3/28に控えたなんばハッチのワンマンライブに来てくれる事が最高の誕生日プレゼントです。
心のどっかで『パクシン、27歳も頑張れよ』と思いながら楽しんで帰ってくれたらそんな嬉しい事はないですし、バンド史上最大のワンマンライブという場で、そのステージで、良いショーを魅せて、普段応援してくれている皆さんに恩返しをできればと思っています。
その為には有給なんか新東名のサービスエリアのゴミ箱に投げ捨ててきたるわ!
という事で27歳もよろしくお願い致します。
以上、パクシンでした!